2020年05月11日

ユダヤ人の謎..



   幼少期から秀才っていますよね、人類だって秀でた人種 ( 民族 ) が存在しても可笑しくない、ただそれが善か悪かで天と地の差があるけどね ... 。



  ※人類史上、もっとも迫害され、打ちのめされ続けてきたユダヤ人が隠し持つ底知れない 「 巨大権力 」 の源をさぐる!奇跡の民族の謎に迫ってみたいと思います。



  ユダヤの真実1(アダムとイブ...)


  すべてはアダムとイブの楽園追放に始まった!

  ヤーヴェに翻弄されたユダヤ人

  ヤーヴェに創造された人類の祖アダムとイブは、ヤーヴェの怒りに触れて、エデンの園から追放される。子孫のユダヤ人も、あるときは愛され、あるときは嫌われて世界中を漂い歩く

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(ヘビの誘惑に負けて、知恵の果実リンゴを食べてしまったアダムとイブ...。)
 

知恵の果実リンゴの悲劇

  旧約聖書創世記によれば、ヤーヴェ ( 神 ) は、世界をつくり、動植物はもちろん、人類すべての祖であるアダムとイブをつくりだした。ふたりは楽園であるエデンで、生まれたての赤ん坊のように全裸を恥ずかしがることもなく、動物たちに囲まれ、豊かな生活を送っていた。ところが、ヤーヴェから 「 決して食べてはならない 」 と禁じられていた知恵のリンゴを、ヘビの誘惑に負けて食べてしまう。純真無垢だったふたりは、リンゴを食べたことから知恵がつき、裸でいることを恥じらうようになり、イチジクの葉で局部を隠す。これをヤーヴェに見とがめられ、ふたりはエデンを追放され、苦難の生涯を送ることになる。

  知恵の果実はリンゴだったのか?

  楽園追放を招いた知恵の果実リンゴとするのは、西欧民族だけだ。西欧民族の中にも、イチジクの葉で局部を隠したのだから、イチジクとする人々もいる。東欧民族の多くはブドウとしているし、スラブ民族はトマトとする。その他、ザクロ、ナシなどと信じている人びとも少なくない。いずれにせよ、すべて果実でるが、ユダヤ人だけは、楽園追放のきっかけとなった食物を果実ではなく、小麦と信じている。生きていくのに必要不可欠な小麦を禁断の食べものにするところに、ユダヤ人の屈折したヤーヴェへの思いがあるようだ。

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(今も死海付近に自生している「ソドムのリンゴ」)



  なお、リンゴに関しては、ヤーヴェの怒りに触れたユダヤ人たちへの罪として、白い花も形もそっくりだが、果肉はふわふわでまったく食用に適さない 「 ソドムのリンゴ 」 があることを付け加えておきたい。( ユダヤの真実、マイウェイ出版参照 )



  ユダヤの真実2(バベルの塔)


  神をも恐れぬ人間たちが犯した愚行へ鉄槌(てっつい)が下る

  ☆バベルの塔にヤーヴェの怒りが炸裂


  知恵をつけたことからエデンの園を追われた人間たちは、その知恵でしぶとく生き抜き、天上のヤーヴェに迫ろうと高い塔をつくり始めた。思い上がった人間たちへの怒りとは?

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(神(ヤーヴェ)の怒りをかい、共通言葉を奪われる...。)
 

  共通言語を奪って混乱させる

  旧約聖書創世記11章には、アダムとイブの子孫である人びとが集まり、「 ソドム石の代わりにレンガを、漆喰 ( しっくい ) の代わりにアスファルトを 」  使って、新都市と、神に並ぶために天まで届くような高い塔をつくり始めたと書いてある。ヤーヴェはこの思い上がりを怒り、それまで同じ言葉を奪って、「 それぞれの出身地によって、違う言葉をつかうように 」  した。たちまち人々は混乱し、新都市や塔の建設を中止して、出身地へ散らばっていったのだ。

  高層建築への永遠のあこがれ

  この塔を、後世のユダヤ人はバベルの塔とよんでいたが、近代考古学者は神話であり、歴史的事実ではないと考えていた。ところが、6200年前の古代バビロニア遺跡から巨大な塔の基礎部分が発掘されたり、ウルのジグラット ( 聖塔 ) が発見され、歴史的事実であると考えられるようになったのだ。

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(現在、世界一高い超高層ビルとして名を轟かせているのはアラブ首長国連邦ドバイにある「ブルジュ・ハリファ(Burj Khalifa)」です。全高828m、ビル本体の屋根の地上高は636mの206階建てという圧倒的な高さと未来的なデザインで、ドバイの新しい象徴として君臨しています。)



  高層建築に対する人類のあこがれは、現代まで続けている。古代ローマのコロッセオ、中世ヨーロッパの教会の塔、近代の高層ビルから現代の超高層ビルまで、すべての源は 「 バベルの塔 」  にあるともいえよう。 ( ユダヤの真実、マイウェイ出版参照 )



  ユダヤの真実3(アブラハム)


  ユダヤ民族の祖と敬われるアブラハムの絶対的服従

  ☆神に捧げる最愛の我が子の命

  裕福な遊牧民の家に生まれたアブラハムは、ヤーヴェを唯一神とする熱心な信徒だった。ヤーヴェは、その信仰心を試そうと、最愛の息子イサクを生贄 ( いけにえ ) として要求してきたのだ

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(子宝に恵まれなかったアブラハム、後妻サラとの間に100歳になり、ついに念願の子ども息子イサクを授かった...。)
 

  全人類の救世主アブラハム

  ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教において 「 信仰の父 」  「 人類の父 」  と尊敬されるのがアブラハムだ。 ユダヤ教ではすべてのユダヤ人の、イスラム教ではユダヤ人に加えてすべてのアラブ人の祖先とされている。ユダヤ教は、アブラハムをヤーヴェによって選ばれた全人類の救世主としているが、キリスト教では二人目の救世主としてイエス.キリストを加え、イスラム教ではマホメット ( ムハンマド ) を三人目の救世主としている。ユダヤ人にとって、もっとも尊敬される人物であり、今もユダヤ人男性の20〜25%がアブラハムと名付けられている。イスラム社会でも、イブラーヒームというアラブ風発音となって多くの男子名となっている。

  ユダヤ人の繁栄を約束

  旧約聖書創世記によると、ヤーヴェがアブラハムの信仰心を試すために、最愛の息子イサクを生贄にせよと命じた。 アブラハムは、ためらうことなく、イサクを連れてモリヤ山 ( 現在のエルサレム中心部 ) に上り、その首を切り落とそうとしたとき、天使が現れて引き留めたという。

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(イサクまさに危機一髪.......。)


  ヤーヴェは、アブラハムの絶対的な信仰心を高く評価し、子々孫々に至るまで、健康、長寿、繁栄を約束した。 現代人にとっては、息子を生贄にするとは正気ではない行動だが、いまから4000年前のユダヤでは、ヤーヴェがそれほど絶対的な存在であったからといえよう。

  今も残るアブラハムの遺跡

  ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、アブラハムを救世主とあがめることは、宗教的な対立も招いている。現在のエルサレムの抽象的な寺院となっている 「 黄金のモスク 」  は、アブラハムが息子のイサクを横たえて首を切ろうとした岩の上に建てられていて、三宗教の聖地とされている。当然、聖地の主導権争いは激しかったが、今はイスラム教のモスクとなった。アブラハムに関する遺跡で、今も大切に保存されているのが 「 アブラハムの井戸 」  だ。長い干ばつに苦しんだユダヤ人のために、アブラハムがヤーヴェの導きで井戸を掘ったところ、豊かな水脈を掘り当てたと伝えられる。

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(干ばつに苦しんだユダヤ人を救ったアブラハムの井戸)


  また、アブラハムの妻ラケルの墓は、「 ユダヤ人の母の墓 」  として、イスラエル国軍精鋭部隊が24時間警護にあたっている。この墓は、第2次大戦直後にイスラム教徒からユダヤ教徒が奪い返し、今もユダヤ教の聖地となっているのだ。 ( ユダヤの真実、マイウェイ出版参照 )



  ユダヤの真実4(預言者エリヤ)


  ユダヤ人最大の予言者であり、キリストの先駆者

  ☆「 奇跡の人 」 エリヤの孤独な生涯

  ヤーヴェの声をユダヤ人に伝えた預言者のなかでも、エリヤは長く尊敬されている。その生涯は孤独だったが、迫害され続けたユダヤ人をいつの時代も精神的に支えてきたのだ

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(ヤーヴェの神から遣わされた特別預言者、エリヤはアハブ王に真っ向から対立し、奇跡を見せながら、生涯をかけて戦いました..。)
 

  異教徒国王を真っ向から批判

  3000年前ごろから、唯一神だったヤーヴェへの信仰がユダヤ人から薄れてきた。地中海東北部のバール神を信仰する宗教と混合し始めたからだ。その後、イスラエル王となったアハブは、バール神を信じ、ヤーヴェを排斥するようになる。そんなときイスラム北部に生まれた少年が、ヤーヴェの啓示を受け、アハブ王に真っ向から対立する。後に、ユダヤ人最大の預言者と称されたエリアの登場だった。エリヤは常にひとりで街角に立って、ヤーヴェの教えである 「 私以外のなにものも神としてはならない 」 を熱心に説いた。バール神の狂信的信者やアハブ王からの暗殺者を仲間から心配されたという。「 私はヤーヴェと共にいる。なにを心配するのか 」 と笑って、気にもしなかったのだ。

  野良犬のエサになった異教徒妃。

  エリヤがイスラム全土にその名をとどろかせたのが、カルメル山でのバール神預言者との対決からだった。多数の異教預言者たちを、エリヤは火の出るような宗教論議と、数々の奇跡を見せることで粉砕したのだ。アハブ王の死後、その妻イゼベル妃はエリヤ暗殺を何度も図ったが、すべて失敗した。エリヤは 「 イゼベルは犬のエサになるだろう 」 と予言したが、その言葉通り、反乱者によって居城の城門から突き落とされ、遺体は野良犬に食い荒らされたのだ。激しい言葉で異教信者を責めるエリアは、同時に心優しい預言者でもあった。ヤーヴェを唯一神と信じる貧しいと信じる貧しい人びとには、あたたかい励ましの言葉をかけていた。

  ヤーヴェからの優しい言葉

  地中海に面する港町ハイファーは、エリヤの時代から漁業港、商業港として栄え、今もイスラエル第三の都市である。エリヤは、ハイファーの街角でも熱心にヤーヴェの教えを説いた。エリヤの最後は、劇的だった。あるとき、ヤーヴェから、「 お前は充分に私に尽くしてくれた。そろそろ天国で休むがよい 」 と優しく告げられ、ヤーヴェの遣わせた火の車に乗って天国へ旅立ったと旧約聖書列王記は伝えている。

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(これは旧約聖書2列王記2:11で、預言者エリヤが炎の戦車に乗って天に凱旋するシーンである。)

(ユダヤの真実、マイウェイ出版参照)





  ユダヤの真実5(ダビデ王)


  ソロモンの栄華から古代ローマ帝国の属領となるまで

  ☆栄枯盛衰のユダヤ民族史再考

  ダビデ、ソロモン、モーセと、ユダヤ民族の歴史を彩った英雄たちの時代もあればエジプト、ローマ帝国の奴隷だった時代もある。その中をしぶとくユダヤ民族は生き続けた

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(左肩に石撃ち皮袋をかけたダビデ像)
 

  ダビデ王治世下のイスラエル

  ダビデは、古代イスラエル統一王朝の二代目名君であり、若き日には、初代のサウル王に命じられ、ユダヤ人の仇敵ペルシテ人の豪傑ギリアテを倒したことで歴史に名を残している。ゴリアテと対決する姿を彫り込んだ大理石のダビデ像は、ミケランジェロの代表作で、高さは5、17メートルにも達する世界一有名な彫刻である。ペルシテ人を征服してからのダビデは、ユダヤ周辺の小国を次つぎに征服し、サウル王の死後、二代目国王となった。都をイスラエル中央部のエルサレムに移し、南北のユダヤ人たちをひとつにまとめるなど、その治世下、イスラエルは空前の繁栄を誇った。

  英雄、色を好む

  ダビデ王唯一の欠点は 「 女好き 」  だったことで、美女と見たら、すぐに手をだした。その一人が古代ユダヤナンバー1美女パトシェバで、後世の芸術家は競ってモデルとしている。

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(古代ユダヤナンバー1美女パトシェバ)レンブラント作

  王の女好きから多くの息子たちが生まれ、後継者争いも起きた。息子の一人アブサロムはダビデに反逆し、若くして戦死した。父ダビデ王は、アブサロムの死を深く悲しんだという。

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(ダビデの星を紋章としたダビデの墓)

(ユダヤの真実、マイウェイ出版参照)




  ユダヤの真実6(ソロモン王)


  全世界の富と美女をわが手に抱きしめる快感を堪能する

  ソロモン王の栄華とその秘宝

  ソロモン王は、父ダビデの古代イスラエル王国を受け継ぎ、更なる隆盛と強固な国家へと導く。宮殿には貢ぎ物の財宝と美女があふれかえり、ユダヤ人全盛時代を迎えていた

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(ソロモン王の宮殿は全世界の富にあふれかえった)
 

  宮廷内の権力闘争を勝ち抜く

  一説には100人以上もいたというダビデ王の息子たちの中から、宮廷内の権力闘争を勝ち抜き、時には異母兄弟での殺し合いも辞さず、次期国王の座を射止めたのは、最年少の息子ソロモンだった。ソロモン王は、地中海貿易の推進、国内通過の隊商への課税、鉱山開発などの経済政策を実施、同時に今も残る※灌漑 ( かんがい ) 用の人工池を多くつくった。外交政策では、当時の大国古代エジプトから王女を第二夫人として迎え、銅鉱山岩壁には、ファラオの像を彫り込ませるなど、友好状態を保つことに苦心していた。周辺小国はもちろん、エジプト、ペルシアなどの大国からも貢ぎ物が運び込まれ、ソロモン王の宮殿は全世界の富にあふれかえっていたのだ。 
灌漑(かんがい)用 ........ 農地に外部から人工的に水を供給すること。


  ソロモン王の名裁き

  ソロモン王は、後世に伝わる有名な裁き、数多く残している。乳児の実の母親は私だ、と主張するふたりの母親に対する裁きは、「 どちらも母親と考えられる。乳児を縦二つに切り裂いて等分に与える 」  これを聞いた母親のひとりは、切り裂けば乳児は死ぬ、私の子どもではないと言えば、命は助かるのかと泣き伏した。ソロモン王はよくぞ言った。この乳児の真の母親はお前だ、との裁きをしたのだ。このエピソードは、遠く日本にまで伝えられ、「 大岡裁き 」 として、日本人にもおなじみだ。

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(ソロモン王の「大岡裁き」)


  シバの女王との質疑応答

  映画や舞台でおなじみの 「 ソロモン王とシバの女王 」 のロマンスは、歴史的事実かどうかはわからない。ただ、現在のアラビア半島南端にあった王国シバの女王が、大量の貢ぎ物を持ってソロモン王を訪ね、数日間にわたって政治、経済、軍事から、哲学、神学に至るまで教えを乞うたことは、古文書にはっきり記されている。

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(ソロモン王とシバの女王)


  世界史最大の謎、ソロモンの秘宝

  「 ソロモンの秘宝 」 は、ソロモン王の死後から3000年もの間、世界史最大の謎とされ続けた。エルサレムの宮殿、神殿に山と積まれた金銀財宝が、王の死後、すべてなくなっていたからだ。古代ギリシャの都市国家諸国、ペルシア、ローマ帝国にはじまり、オスマン帝国、英仏独などの近世国家まで、「 ソロモンの秘宝探査 」 は国家事業となっていた。

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(失われたアークもソロモンの秘宝だった。)

  秘宝のありかとして、もっとも有力視されたのは、ソロモン王の造船所があった地中海エジオンゲベル、パロの島だったが、発見されていない。
(ユダヤの真実、マイウェイ出版参照)




  ユダヤの真実7(アレキサンダー大王)


  ようやく訪れたユダヤの平和を若き英雄がかき乱す!

  ☆アレキサンダー大王の東方征服

  ソロモン王の死後、古代イスラエル王国は後継者争いで滅亡、ユダヤ人は各地で迫害される。やがてペルシャ帝国の自治領となり、ユダヤ人はようやく平和な暮らしを迎えた。

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(アレキサンダー大王が東方遠征によって支配した国)
 

  大国に翻弄(ほんろう)されたユダヤ人

  2550年前、ペルシャ帝国支配下であったが、イスラエルは再統合し、自治領としてのユダヤ人国家が復活した。長い戦乱を、ユダヤ人たちはただひたすら耐え抜いて生きてきたのだ。このころ、ユダヤ教の教義もほぼ確立し、エルサレム神殿をはじめとするユダヤ教神殿が各地で再建された。ギリシャ都市国家とペルシャ、エジプトとの中間点に位置していたイスラエルは、貿易はもちろん、文化や学問の中継地となって 「 ソロモンの栄華 」 を復活しはじめた。ところが、西方マケドニア王国に野心あふれる若き英雄アレキサンダー大帝が現れる。大帝は、ペルシャ帝国軍を粉砕、さらにエジプトも征服する。戦乱に巻きこまれたユダヤ人たちは、エジプトや小アジアに逃れ、イスラエルに残るユダヤ人たちは、苦しい生活を送ることになる。

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(わずか10年ほどの東方遠征で、彼はギリシアとオリエントを結ぶ一大帝国を築き上げました。)

(ユダヤの真実、マイウェイ出版参照)

  大王は東方遠征によって支配した国は、ペルシア帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国などでした。そこには、多民族、多言語、多宗教がありましたが、大王は長期にわたり支配することができたのです。その秘密は大王の 「 寛容さ 」 であり、それを象徴するエピソードがありました。大王が、バビロンへ入場する時に住民に語った言葉がありました。それは、バビロン出土の粘土板文書に記されていたそうです 「 私はあなた方の家には侵入しない 」 この言葉から、大王が武力のみに頼るのではなく、人々の宗教や習慣を大切にしていこうとする意思が伝わってきます。また、上の地図の大王の征服地の中にある 「 イラン 」、「 エジプト 」  などは3000年近い文明がありました。

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(コイン(通貨)にもなりました。表面アレキサンダー大王、裏面フィリッポス2世、現在価格、2,096,000 円(税込))


アレキサンダー大王(紀元前356〜323)wikipediaより




  ユダヤの真実8(サロメの願い...)


  美貌の宮殿舞姫サロメの願いは預言者の生首

  ☆鮮血したたる生首が宙をさまよう

  古代ローマ帝国の軍事活動を支援しイスラエルの自治を許された、ユダヤ王のヘロデは好色な独裁者だった。美貌の舞姫から肉体の代償に預言者ヨハネの生首を求められて........

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(ヨハネの黙示録でも有名なヨハネが........)
 

  バブテスマのヨハネの批判

  古代ローマ帝国に取り入ってイスラエルの実権を握った武将ヘロデは、王位まで奪い取る。前王はもちろん、王朝関係者をすべて殺し、前王妃を妻にして王位継承を正当化した。これを、預言者バプテスマのヨハネが真っ向から批判した。バプテスマとは 「 洗礼 」 の意味で、ユダヤ人たちが知らず知らずに犯した罪を悔い改めさせるための儀式を意味する。ヨハネは、ガリラヤ川流域で人びとに説教し、洗礼をさずけていた。ヘロデ王は、ヨハネを捕まえて投獄する。すぐ死刑にしなかったのは、ヨハネを慕う人びとが多く、反乱の危険があったからだ。

  一夜の代償は預言者の生首

  前王妃の娘で、ヘロデの義理の娘となるサロメが、美青年だったヨハネに横恋慕したことから悲劇は始まる。獄中のヨハネに恋心を明かしたが、手ひどく拒否されたサロメは逆恨みし、ヘロデ王に、今宵の宴席で踊った後一夜を共にする、そのほうびとしてヨハネの生首を所望したのだ。ヘロデ王にとっては、成熟し始めた美貌の前王王女と寝られる上に、ヨハネを死刑に処しても、民族にその責任はサロメにあると言い逃れられる。獄中のヨハネは、サロメの願い通り首を打ち落とされ、銀のお盆に乗せられて宴会の席に運び込まれる。鮮血を流しながら、ヨハネの生首は空中を漂い、サロメやヘロデ王に迫った。あわてて、ヘロデ王は生首を捨てさせる。捨てた場所には、今、ヨハネ教会遺蹟が残されている。

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(サロメの逆恨みによりヨハネの首を打ち落とした.......)

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(ヨハネの生首が発見されたエルサレム郊外に立つヨハネ教会遺蹟)

(ユダヤの真実、マイウェイ出版参照)

  ヨハネ ......... 使徒ヨハネは、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。洗礼者ヨハネと区別するために特に「使徒ヨハネ」と呼んだり、ゼベダイの子ヨハネ、福音記者ヨハネと呼ぶこともある。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。 (ウィキペディアより)




  ユダヤの真実9(マサダ砦)

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  (ヘロデ王の死後におきたローマ帝国とユダヤの7年にわたるユダヤ戦争で、マサダ砦(とりで)の驚異的な守備力が証明された)



  人類史上最大とされる標高758メートルの人工山

  ☆ヘロデュームと難攻不落マサダ砦(とりで)

  エルサレム近郊ベツレヘムに、2000年の歳月に耐えた標高758メートルの人工山ヘロデュームが今も残る。また、岩山を掘削したマサダ砦も、その威容を示し続けている

  土木工事にすぐれた業績

  ヘロデ王は、義理の娘サロメにも手を出すような好色漢であった。また、救世主が生まれるという噂におびえ、イスラエル全土の新生児を殺すよう命じるなどという、暴虐な王ではあったが、土木工事においては、すぐれた業績を残している。まずヘロデュームを見てみよう。標高758メートルという、巨大な人工山を築いたヘロデ王は、周囲を円形の壁で囲み、4か所の出城を中心にして無数の櫓 ( ろ ) を築いた。櫓の一つ一つはそれほど攻撃力、防御力が強くなかったが、連携した時は攻防ともに強力となり、さらに出城からの支援もあって難攻不落の要塞となっていた。ヘロデュームは、要塞であると同時に生活設備の完備された宮殿でもあった。民族の反乱があったとき、ヘロデ王はエルサレム宮殿からヘロデュームに移って鎮圧する計画だったのだ。2007年5月8日、ヘブライ大学考古学研究室は、ヘロデュームからヘロデ王の墓と石棺を発掘、今も調査が進められている。

  ローマ帝国大軍に立ち向かう

  紀元前120年頃、切り立った岩山の上に小さな砦 ( とりで ) が建設され、後にヘロデ大王が離宮兼砦として大改修し、マサダ砦と名づけた。山頂の主砦へは「蛇の道」と呼ばれる細い道しかなく、周囲は切り立った崖 ( がけ ) で、当時難攻不落の砦と言われた。「 蛇の道 」 には、いくつかの二重円形回廊があり、少数人の守備兵でも大兵力の敵でも食い止められるよう設計されていたのだ。ヘロデ王の死後におきたローマ帝国とユダヤの7年にわたるユダヤ戦争で、マサダ砦の驚異的な守備力が証明された。女、子どもも含むわずか967人のユダヤ人守備隊は、3年余りの籠城戦を戦い抜き、最後は女ふたり、子ども5人を残し、守備兵全員が自決して落城したのだ。

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(砦の最上部から見下ろした中段テラス円形回廊。中央部のひし形はローマ帝国軍宿営跡)
 

(ユダヤの真実、マイウェイ出版参照)




  
   ユダヤの真実10(死海文書)


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   (死海文書が発見されたクムランの第四洞窟遠景)



  羊飼い少年の歴史的発見

  2000年後に蘇った死海文書

  アラブの遊牧民族少年が、見失った山羊をさがして偶然に発見したのが旧約聖書写本と関連文書だ。20世紀最大の考古学的発見であり、ユダヤ人の聖典として保存されている

  ☆死海文書は時価5000億円

  1947年、遊牧民族ベドウィン族の少年が放牧して行方不明になった山羊をさがしていたとき、偶然入った洞窟内で、丸まって壺に入っている羊皮紙の束を発見した。 死海西北岸近く、クムランと呼ばれる岩山にあった第四洞窟が発見場所だった。少年の父親は、羊皮紙の束を日本円にして1万円で古物商に売ったが、ヘブライ大学考古学研究所が100万円で買い取り、現在ではその価値5000億円と推定されている。 死海文書が 「 20世紀最大の考古学的発見 」  とされるのは、その内容がユダヤ教の教義であるため、キリスト教の教義と相反することも考えられるからだ。 事実、死海文書の完全解読書が出版されないのは、バチカン法皇庁の圧力という主張もある。

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(死海文書イザヤ書写本)

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(発見当時の死海文書)



  ユダヤ教の聖書学研究資料か

  死海文書が高値で転売されることを知ったベドウィン族は、クムラン付近を探索して、さらにいくつかの文書を発見する。 クムラン付近に、なぜ、このような重要文書が残されていたのだろうか。 ヘブライ大学考古学研究室は、クムラン遺跡をその理由としている。現在も発掘中のクムラン遺跡には、2300年前、すでに聖書学を研究していたユダヤ教エッセネ派の教会があった。 この教会は、資料として羊皮紙の聖書を多数集めていたが、死海文書はその資料の一部ではなかろうかと推定しているのだ。

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(現在も発掘中のクムラン遺跡)
 
(ユダヤの真実、マイウェイ出版参照)




  ユダヤの真実11(イエス.キリストの誕生)


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  (イエスはベツレヘムの馬小屋で生まれたと聖書に記されている)




  ユダヤ人の運命を変えた救世主の降誕

  ☆イエス.キリストの誕生とその生涯

  仏教、イスラム教と並んで、世界三大宗教のひとつキリスト教を広めたのがユダヤ人のイエスだ。キリスト教は、多くの宗派に分裂しながら、西欧世界での精神的支柱になった

  神の子か? 托卵か?

  紀元前4年ごろ、イスラエル中央部得て、エルサレム近郊のベツレヘムで男の子が生まれ、イエスと名付けられた。 父ヨセフは大工で、母マリアと婚約中だった。 ヨセフは清廉潔白な人物で、結婚前に妊娠させたおぼえはもなかったため、マリアとの婚約を破棄しようとする。ところが、天使が現れてヨセフに 「 マリアは神の子を宿した 」 と伝え、ヨセフはこれを信じる。 現代的にいうならば 「 托卵 」 であり 「 デキ婚 」 であるが、後の神学者たちは、これを 「 処女懐胎 」 という奇跡で説明している。

  ヨセフは養父、マリアは聖母

  イエスを 「 神の子 」 とするならば、ヨセフを父とするのは、あきらかに間違いとなる。キリスト教各宗派では、ヨセフを養父、あるいは義父とする。 一方マリアはイエスを妊娠出産した実母であることから、キリスト教ではヨセフよりははるかに高い信仰対象となる。 カトリックなど、古い宗派では、神、神の子イエスと並んで、マリアは 「 聖母マリア 」 として崇敬している。イエスはベツレヘムの馬小屋で生まれたと聖書に記されているが、現在、その場所にはベツレヘム降誕教会がある。 400年ごろの建立と伝えられ、世界最古の教会建築であり、内部には誕生地点を示す 「 銀の星 」 がある。

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(世界最古の教会建築であるベツレヘム降誕教会)

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(教会の内部)

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(イエス誕生の場所を示す「銀の星」)

(ユダヤの真実、マイウェイ出版参照)


  
  ユダヤの真実12(ヘロデ王の暴虐)
  

  救世主出現におびえるヘロデ王の暴虐

  ☆幼子イエス、エジプトへの逃避行

  イエスが生まれたころ、ユダヤは暴君ヘロデの圧政に苦しんでいた。民衆は救世主出現を噂したが、その噂におびえたヘロデは、救世主の可能性がある乳幼児全員の虐殺を命じる。

  暴君ヘロデの乳幼児虐殺指令

  ユダヤの民衆の中から口コミで広まった 「 救世主が誕生し、王を滅ぼす 」  という噂にまどわされたヘロデ王は、救世主となるかもしれないユダヤの乳幼児全員を虐殺するよう使令した。 この指令を受けたヘロデ王直属の親衛隊は、乳幼児を見つけたら例外なく虐殺したのでした。

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  この暴虐な指令から逃れようと、イエス一家は故郷ベツレヘムを捨て、エジプトへ国外亡命する。 幼子イエスを連れての旅は苦しかったが、一家は無事ユダヤ領内を脱出しナイル川畔、カイロ近郊のヘリオポリスに到着した。 イエス一行は、ひとまずこの地に滞在することとした。

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天のお告げは聖母マリアの夫ヨセフのもとにも届けられていた。「幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、知らせるまでそこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」

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(イエス一家は故郷ベツレヘムを捨て、エジプトへ国外亡命する)



  ヘロデ王の死で故郷へ帰還

  長旅の疲れで、体調を崩したマリアは、ヘリオポリスのイチジクの樹の下で、イエスとともに休んだ。このイチジクの樹は、現代まで残っており、「 マリアの樹 」  として、たいせつに保護されている。「 マリアの樹 」 の周囲には、イエス一家の滞在を記念して 「 マリアの樹教会 」  が建立された。ヘリオポリス滞在中、ヘロデ王の死を知ったイエス一家は、ユダヤに戻る。 ただ、生誕地ベツレヘムはエルサレムに近く、まだ乳幼児への危険があったため、ヨハネの故郷である北部の街ナザレに住むこととした。 この街で、イエスは少年時代をすごした。 ( ユダヤの真実、マイウェイ出版参照 )





  ユダヤの真実13(少年イエス)


  エルサレム神殿で神学者、律法学者たちと白熱の議論

  ☆超早熟少年だった 「 神の子 」 イエス

  ユダヤ教では13歳で成人となり、エルサレム神殿に参拝する。イエスは12歳の春、翌年の成人参拝の予行演習でエルサレム神殿に参拝、神殿内の律法学者たちと激論をかわした。

  エルサレム神殿参拝は成人儀式

  ユダヤの教えでは、男子は13歳になったら 「 バール.ミツバ ( 掟の息子 ) 」 となって、精神的に両親から独立し、ユダヤの男子として宗教的責任と義務を負うことが求められる。 エルサレム神殿参拝もその義務のひとつだった。 これは、3000年以上前から現代まで続く、ユダヤ人にとって最も重要な儀式なのだ。

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(バール.ミツバは3000年以上前から現代も続く。)


  イエスは12歳の春に、ナザレの住民たちやユセフ、マリアと共に、団体で翌年の神殿参拝儀式予行演習のため、エルサレムを訪れていた。 さまざまな行事を終えて、ナザレへの帰路についたヨセフとマリアは、イエスの姿が見えないことに気づく。 同年齢の住民たちと行動を共にしていると思い込んでいた両親は、あわててエルサレムへ引き返した。

  私はヤーヴェのところにいる

  両親は、三日間、エルサレム街中をさがしまわったが、イエスは見当たらなかった。 最後にエルサレム神殿内をさがしたとき、当時ユダヤ最高知識階級だった神学者や律法学者と議論をかわしているイエスを発見したのだ。 新約聖書によると、私たちは心配してあなたをさがし回った、というマリアに、イエスは、こう答えている。 「 私が必ず父 ( ここではヤーヴェを指す ) のところ ( 神殿 ) にいると、知らなかったのですか 」

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(超早熟少年だったイエス)


  イエスは極端に早熟な少年だった

  ユダヤでは、今も 「 パール、ミツバ 」 の儀式が、イエスの時代と変わらず行われている。 成人儀式と言ってもまだ13歳の少年だから、日ごろ街角で見かける、ロバに乗って遊ぶ姿は幼い。 こんな少年が、神学論争、律法論争をしたのだから、イエスは極端に早熟な少年だったと考えられよう。

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(神学論争、律法論争をする少年イエス)



  ふしぎなのは、ヨセフ、マリアともに処女懐胎という誕生のいきさつを知っていながら、イエスを 「 神の子 」 ではなく、ふつうの男の子として心配しているところがだが、神学者もこの点はあまり深く追求していない。

( ユダヤの真実、マイウェイ出版参照 )





  ユダヤの真実14( 青年イエス )


  ヨルダン川の流れに身を浸して洗礼を受ける


  ☆青年イエス、キリストとして再生

  ユダヤ教保守派の裕福な生活や尊大な信仰態度を見たイエスは、病人や貧しい人びとを救おうと、ユダヤ教改革に乗り出す。 洗礼を受けた 「 神の子 」 イエスの苦難の道が始まる


  ヨルダン川で洗礼を受ける


  青年となったイエスは、富を独占し口先だけの信仰を語る、腐敗、堕落したユダヤ教保守派を見るたびに、激しい怒りを覚えていた。 怒りは、このままだとユダヤ教はもちろん、ユダヤの人びとも堕落する一方だという不安に変わっていく。ユダヤ教の原点に戻り、すべてを投げ捨てヤーヴェへの信仰に生きることを決意したイエスは、同じ信仰の道を歩もうとしていたヨハネからヨルダン川で洗礼を受けて、伝道者としての第一歩を歩み出す。 洗礼とは、全身を水中に没することでそれまでの人生を捨て、新しく生まれ変わる儀式である。



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(一般人の立ち入りが制限されているが、一部に開放区域が設けられている。信者の方が白い衣服に着替えヨルダン川に入り洗礼の様子を体験します。現在は世界文化遺産に登録されています。)

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(イエスはヨルダン川で洗礼者ヨハネより洗礼を受けます)


  ヤーヴェからの啓示


  洗礼を受けたイエスは、ヨルダン川流域に広がるユダの荒野に分け入って、ひたすらヤーヴェに祈り、ユダヤ教の改革に関して対話を試みた。 飲まず食わずの修行の末、イエスはヤーヴェからの啓示を受け取り、キリストとして生まれ変わったのだ。ヨルダン川の流れに沿って、イエスはヤーヴェからの啓示を語りながら、ガリラヤ湖をめざし歩んでいった。 多くの人びとが、イエスの語る言葉を聞こうと集まってきたのだ


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(イエスはヤーヴェからの啓示を語りながら、多くの人びとが、イエスの語る言葉を聞こうと集まってきた。)





  ユダヤの真実15 ( イエスの奇跡 )


  ガリラヤ湖畔でヤーヴェの教えをやさしく解き明かす

  ☆奇跡が証明した救世主の出現


  ヤーヴェへの絶対的信仰を説き続けるイエスを、ユダヤの人々は救世主の出現と崇めた。ガリラヤ湖畔でたびたび奇跡を見せたことから、イエスの名前はユダヤ全土に広まる。


  数人分の食事を数千人に与える

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(イエスの時代から、2000年間変わらぬガリラヤ湖)


  ヤーヴェの言葉をわかりやすいたとえで話すイエスは、いつも多くの人びとに囲まれていた。ガリラヤ湖畔で説教をしていた時のことだ。数千人の聴衆は、昼食を用意していなかったが、イエスは、ヤーヴェに、人々に十分な食事を与え給え、と祈り、数千分のパンと小魚の昼食を、数千人に分かち与えたという。


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(イエスがガリラヤ湖の近くで説教。)



  嵐をひとことで静まらせる


  ガリラヤ湖を小舟で渡っていた時のことだ。急に嵐となり、大波が打ち寄せて、イエス一行の乗った小舟は今にも転覆しそうになる。あわてふためいて、なんとかしてほしいと願う同乗者に、イエスは神の子の乗った舟をヤーヴェが沈ませるはずもない、すぐに沈まると答え、事実、波も風も収まったのだ。


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(イエスは数々の奇跡を起こした)


  これらの奇跡は、弟子たちの口を通じてユダヤ全土に広まり、イエスの名前は一躍有名となった。









  ユダヤの真実17 ( 最後の晩餐 )




  12人の弟子との最後の晩餐で予告された裏切り

  ☆パンは私の体、ワインは私の血

  ユダヤ人権力者たちの処刑計画を知ったイエスは、12人の弟子との最後の晩餐の席上、裏切った弟子がいることを予告、翌日に迫った十字架処刑を淡々と受け止めていたのだ。

  ヤーヴェのご意志は十字架処刑



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(12人の弟子たちとの最後の晩餐、パンとワインだけの粗末なメニューだった。)

  形式的には、自ら 「 神の子 」 と称して風紀を乱したこと、実質的にはユダヤ人上流階級の既得権益を否定し、反乱分子となりそうだったこと、これらの罪で、イエスを十字架にかけて処刑しようという陰謀が、ユダヤ人の中でひそかに練られていた。イエスは、自らの運命を知って、ヤーヴェのご意志だったらと、これに従おうとする。

  処刑前夜、イエスは12人の弟子たちを集め、これまで伝道旅行に従って苦労を掛けたことへの礼として、自ら弟子たちの足を洗う。 当時のユダヤの風習では、これは最大の敬意の表示だった。

  12人の弟子たちへの予告

  その後、最後の晩餐を共にし、イエスは、いくつかの予告をした。 まず、12人の弟子の中に裏切り者がいて、ユダヤ人権力者にイエスの行動を密告したと告げた。 弟子たちは、口々に、自分ではないことを訴えたが、イエスは微笑むだけだった。 また、兵士に捕まった自分を見捨てて、弟子たちは、逃げ去ることも予告した。 弟子たちは、強く否定したが、新約聖書によると、翌日の早朝には事実となってしまうのだ



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(最後の晩餐、登場人物の配置図)


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(右手に銀貨30枚が入った袋を持った人物がユダ)


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(イエスと12人の弟子たちが最後の晩餐を共にした部屋)

  パンとワインを与える

  最後の晩餐は、パンとワインだけという粗末なメニューだった。 新約聖書によると、「 ヤーヴェを賛美したのち、イエスはパンを 「 私の身体 」 、ワインを 「 私の血 」 として弟子たちに与えた。 そして、これからも私の思いとして、パンとワインを信仰する者に与えよ 」 とイエスは告げていたのだ。

  イエスの言葉通り、今でもキリスト教会では、儀式でパンと赤ワインを信者に与え、2000年前のイエスの言葉を守っている。


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(ミラノの壁画、最後の晩餐)







  ユダヤの真実 18 ( ゲッセマネでの祈り )




  「 神の子 」 として人間すべての罪を一身に背負う

  ☆ゲッセマネ、血の汗と涙を流す祈り

  人間は生きている限り、知らず知らずの罪を犯す。イエスはこれら人間の罪を、ヤーヴェから許してもらうために、悩みに悩んだすえ、自ら十字架にかかって死を選んだのだ。

  三度の祈りをささげたイエス



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(ゲッセマネの園に今も残るオリーブの古木。)



  エルサレム旧市街から東に500メートルほど離れたオリーブ山は、小高い丘陵で、古くからオリーブ畑になっていたために、この名で呼ばれる。 北西麓にはオリーブ油搾り場という意味のゲッセマネの園がある。

  新約聖書では、イエスが最後の晩餐のあとに、十字架を受けることへの苦悩を祈った場所とされる。「 神の子 」 であったと同時に、イエスも弱い人間であった。 十字架への恐怖もあって、ヤーヴェにできうるならば回避できないだろうか、三度祈っていたのだ。 このとき、イエスは露出した岩に寄りかかりながら、血のような涙と汗を流したという。 その岩は今も残り、ゲッセマネ教会礼拝堂のなかで、大切に保存されている。


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(ゲッセマネの園で三度の祈りをささげたイエス)


  ユダの指摘で神殿警察が捕縛

  ゲッセマネの園にいたイエスを捕縛したのは、ユダヤ教保守派のレビたちに指揮されたエルサレム神殿警察とローマ軍駐屯兵だった。暗がりの中だったので、この男がイエスと指摘するのは、裏切り者のユダの役割だった。 イエスは抵抗することなく捕縛、連行された。 翌日の受けるまでのあいだ、神殿警察やローマ軍兵にさんざん嘲笑されたという。



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(ゲッセマネでの捕縛)


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(伝説では、この岩に寄りかかるようにしてイエスさまは祈られたことになっています。このとき、イエスは露出した岩に寄りかかりながら、血のような涙と汗を流したという。)


            ↓↓


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(世界各国からの今献金で建立されたゲッセマネ教会)






  ユダヤの真実19 ( イエスの十字架刑 )  




  十字架上のイエス、ヤーヴェへ血を吐く叫び

  ☆エリ.エリ.レマ.サバクタニ!

  十字架上のイエスは、あまりの苦しみに 「 エリ.エリ.レマ.サバクタニ 」  と天に向かい叫んだ。 これはヘブライ語で 「 我がヤーヴェよ、なぜ私をお見捨てになったのか 」  という意味である。

  失血死するまで長く苦しめる

  形式的な裁判ののち、イエスは他の重罪人二人と十字架に架けられることとなった。 刑場までの道は、「 ヴィアドロローサ ( 十字架の道 ) 」  と名付けられ、今もエルサレム市内の当時のまま残されている。 この道を、イエスは重い十字架を背負って刑場のあるゴルゴタ ( ドクロの意味 ) の丘へ登っていったのだ。



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(イエスが十字架を背負って歩いたヴィアドロローサ)

  手足を釘で固定し、失血死するまで長く苦しめる十字架刑は、ローマ帝国で始まった死刑方法だった。 もともとユダヤでの死刑は、石打ち刑といって、こぶし大の石を死刑因に投げつけていたが、石打ち刑より苦痛が長く続く十字架刑をイエスの処刑方法として選らんだところに、ユダヤ人上流階級の、イエスに対する憎しみの深さがうかがえる。




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(あまりの苦しみに「エリ.エリ.レマ.サバクタニ!」(我がヤーヴェよ、なぜ私をお見捨てになったのか))

  不吉な日となった13日の金曜

  ヤーヴェに 「 なぜ私を見捨てたのか 」  とまで弱音を吐くほど長く苦しんで、イエスは死んだ。 見守っていた弟子たちは、遺体に香油を塗り、近くの洞窟の中に横たえた。この洞窟の上に建立されたのが聖墳墓教会で、地下にはイエスが葬られたときの洞窟がそのまま残されている。

  イエスの死後、「 神の子 」  を裏切ったユダは罪の意識にさいなまれ、崖の上から投身自殺する。 この崖は、当時のままエルサレム市内シオン山に残っている。

  キリスト教国では、13日の金曜日は不吉な日とされる。 この日にイエスが十字架死したからだ。しかし、翌々日の日曜日早朝、信者たちが墓にいくと、遺体はなかった。 騒ぐ信者たちに、天使がイエスの復活を告げていたという。

  イエスの死と復活、信者に見守られながらの仰天は、キリスト教の中心的教義となり、さまざまな神学的解釈があることも付け加えておきたい。



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(イエスの遺体が葬られた洞窟の上に建てられた聖墳墓教会)


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(聖墳墓教会、キリストの像。)



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(十字架死の翌々日の日曜日早朝、イエスは復活を告げたという)




  
  ユダヤの真実20 ( ユダヤ戦争 )



  
  キリスト教に危機感を抱き始めたローマ帝国

  ☆ユダヤ人を徹底的に叩きのめせ!

  イエスの昇天から約30年後、ユダヤ人キリスト教信者は激増し始め、ローマ帝国がユダヤに派遣した総監とのトラブルも増えた。 ささいなきっかけで、ユダヤ人の反乱が勃発する

  キリスト教信者たちの武力暴動

  ローマ帝国は属州に寛大な政治をしていたが、ユダヤでキリスト教信者が激増し始めたころから、危機感を持ち始めた。 歴史家タキトゥスが指摘したように、唯一神を信仰する者たちは、過激な思想に陥りやすいからだ。

  紀元66年、ローマ帝国の危機感は現実のものとなる。 ユダヤ総監が、エルサレム神殿財宝を市内整備資金にしたことに怒ったユダヤ教、キリスト教の熱心な信者たちが武力暴動を起こし、ユダヤ戦争となったのだ。 皇帝ネロは危機感を募らせ、ローマ本国から猛将ウェスパシアヌス指揮下の正規軍をユダヤに派遣し、首都エルサレムに迫った。 ところが、ローマ帝国内部が混乱し、ウェスパシアヌスは急遽帰国、ユダヤ戦争はひとまず終結する。





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(ローマ歴史家タキトゥス)


  ☆ローマ帝国軍、ユダヤに圧勝

帝国内部の混乱を静めたウェスパシアヌスは皇帝となり、息子のティトゥスにエルサレム攻略を命じる。ユダヤ戦争がふたたび始まった。 ティトゥスは圧倒的兵力でエルサレを陥落させ、神殿は炎上し、財宝はローマ帝国軍に略奪された。 結局、ユダヤ戦争は、ローマ帝国軍の圧勝で終わった。 ローマ帝国時代の遺蹟フォロロマーノには、ティトゥスの戦勝凱旋門が残っていて、壁面にはエルサレム神殿からの略奪場面が描かれている。



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(ユダヤ戦争は、ローマ帝国軍の圧勝で終わる)


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(ティトゥス凱旋門)

  神殿の破壊炎上をなげき悲しむ

  現在のエルサレム中心部に 「 なげきの壁 」 と呼ばれる石壁がある。 エルサレムを訪問する海外要人は、必ず立ち寄る場所で、日本人では小泉純一郎元総理が訪れている。 この壁は、ユダヤ戦争に敗れて炎上したエルサレム神殿の焼け残った外壁で、神殿が破壊炎上したことを、ユダヤ人だれもがなげき悲しんだことから名付けられた。

  「 なげきの壁 」 はユダヤ教、キリスト教信者だけのものではない。 イスラム教では、ムハンマドを乗せて天に昇った動物 「 ブラーク 」 が、この壁につながれていたと言われている。



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(焼け残ったエルサレム神殿の「なげきの壁」)

  市内に残るローマ駐屯兵の跡

  ユダヤ戦争後、ローマ帝国はエルサレムに正規軍団5000人を常駐させた。 それまでの駐屯地は、反ローマ感情を刺激しないよう、地中海に面した港湾都市カイサリアだったが、ユダヤ人への警戒心が強まったからだ。 同時に、キリスト教、ユダヤ教への弾圧も激しいものとなった。 唯一神ヤーヴェの信者たちが戦場で見せた、死をも恐れない勇敢さをおそれたのが、その大きな理由だった。

  エルサレム市内には、2000年前の建造物が多く、その石床には、ローマ駐屯軍兵士がゲームするために彫った跡が多く残されている。



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(ローマ駐屯軍兵士がゲームをして遊んでいたボードゲーム)






  ユダヤの真実 21 ( パウロの布教 ) 




  パウロの辛く寂しいキリスト教布教旅行

  ☆命を懸けてローマ帝国への道を進む

  熱心なユダヤ教徒だったパウロは、天から聞こえたイエスキリストの呼びかけを聞き、キリスト教徒に改宗した。 各地で迫害されながら、パウロの孤独な布教の旅が始まった

  キリスト教迫害者から信者へ

  パウロは弟子を何人もかかえるテント製造工房の親方で、ユダヤ人だったがローマ市民権保持を代々ゆるされた家柄であった。 トルコ南部、タルソの街の生家には、井戸がまだ残されている。 また、熱心なユダヤ教徒でもあり、当時は新興宗教だったキリスト教を嫌い、迫害していたのだ。

  旅先のある日、パウロは突然天からイエスキリストの声を聞く。「 パウロよ、なぜに私を嫌うのか 」 パウロは、驚きの余り失明してしまう。 視力を失って絶望していたとき、キリスト教徒のひとりが、「 パウロの罪をお許しください 」 と祈り、視力は回復する。 これをきっかけとして、パウロは熱心なキリスト教徒に改宗した




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(パウロは、初期キリスト教の理論家で新約聖書の著書のひとり)


  野宿にも、「 神、我と共にあり 」

  故郷タルソには 「 パウロの門 」 が残る。 パウロはこの門を出てキリスト教布教の旅に、たったひとりで出発したのだ。 当時の交通の要所、キリキアの狭門を抜けたパウロは、現在のトルコ各地からギリシャ一帯でキリストの教えを語ったのだ。

  旅は辛く寂しかった。 野宿も珍しくなかったが、パウロは 「 神とキリスト、常に我と共にあり 」 と言って平然としていた。 野宿どころか、不審者として逮捕されることもあり、ギリシャ東部ピリピの街では 「 パウロの牢獄 」 が、当時のまま保存されている。


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(交通の要所であり難所でもあったキリキアの狭門)


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(マケドニア(現ギリシャ東部)のピリピに保存されている「パウロの牢獄」)


  初期キリスト教の理論家

  逮捕、死刑の危険を省みずローマ帝国本土でも布教し、3度の布教旅行を終えてエルサレムに来たパウロは、ローマ帝国からの指令により逮捕され、ローマに護送される。 キリスト教の急速な普及を恐れたネロ皇帝の指示だった。 ローマでの形式的裁判で、死刑判決を受けたパウロは、殉教している。

  パウロは、初期キリスト教の理論家で、新約聖書の著書のひとりだった。 また、キリスト教発展の基礎を作った聖人として尊敬されている。



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(故郷タルソには「パウロの門」が残る。ここから布教旅行に出発した)

  





  ( ユダヤの真実、マイウェイ出版参照 )
 ... (転載記事) ... 。




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  中国を倒しロシアを追い詰めユダヤを攻め込ませるヤ−べ4000年計画の総仕上げ。旧約聖書の予言がダビテの手で刻一刻現実となっていく世界、日本民族は生き残れるのか否か!?そして国籍や肌の色に囚われない “生命尊厳の平等な世界” はユダヤ民族の悲願と重なるのか否か!?いやまして強盛な信心で祈りたいと不肖小生も思います 。。。
posted by 石君 at 01:18| 東京 ☀| Comment(0) | ※大東亜フューチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月10日

七つの秘密結社..


  人類の歴史に秘密は付き物、地球が48億歳なら人類は5000歳生まれたばかりの赤ん坊みたいなものですから ... 。


  国際情勢、世界経済、戦争、さらには天災 ........ これらすべてが、人為的に、ある組織の意図によって操作され、支配されている! その背後にいる組織こそが、今回紹介する秘密結社である。しかし、秘密結社が具体的にどのように政治、経済に関わり、どのように自然災害を起こしているのか、どのような意図で世界を操作しているのか、それははっきりしていない。だからこそ秘密結社なのである。だが、どんなに隠蔽 ( いんぺい ) しようとしても、人の行いは表に少しずつ漏れていき、結社の輪郭はそのたびに、おぼろけに見えてくる。今回はその7つの秘密結社を公開したいと思います!


  ◎フリーメーソン .............. もっとも有名な秘密結社


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1780年代のウィーンでのフリーメーソンのロッジ(支部)の様子。左側(中央奥)の人物はモーツァルトだという


  世界でももっとも有名な秘密結社、フリーメーソン。伝承では、創設は3000年以上前。「 旧約聖書 」  に登場するソロモン王の第一神殿を築いた大建築家ヒラム.アビフこそが、この結社の始祖だという。このときヒラムは、建築家の集団を 「 親方 」  「 職人 」   「 従弟 」 に分け、秘密の合言葉や符牒を定めて仕事にあたらせていた。だがあるとき、「 職人 」  がヒラムの名声を妬み、「 親方 」  の合言葉を聞きだそうと目論み、ヒラムを殺害してしまう。遺体は埋められたが、そこに生えてきたアカシアによって弟子たちに発見され、「 獅子の爪 」  呼ばれる特殊な握手法によってヒラムの復活が試みられたという。


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1ドル札にも刻まれている「万物を視通す目=ホルスの目」



  今日、フリーメーソンの入団儀礼 ( イニシエーション ) では、この伝説が忠実に再現される。参入者はヒラムになり、死と再生を疑似体験することで、フリーメーソンとして生まれ変わるのだ。 彼らのシンボルマークに直角定規とコンパスが描かれているのは、始祖が石工であった名残りとされる。もうひとつのシンボルは1ドル札にも刻まれている 「 万物を視通す目=ホルスの目 」  だ。 彼らの遠い先祖はピラミッド建設集団だともいわれている。


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フリーメーソンのシンボルマーク。直角定規とコンパスを組み合わせたデザイン



  フリーメーソンの本質は、友愛団体だ。「 兄弟愛、困窮者の救済、真実 」  に基づき 「 自由、平等、博愛 」  を目指し、理想現実のために闘いつづけてきた。その結果がフランス革命やアメリカ合衆国の独立、ロシア革命だというのはよく知られている。また、日本の明治維新に関与していたという噂もある。

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フランス人権宣言の草案もフリーメーソンによって作られた。それを示すように、上にはシンボルであるプロビデンスの目が描かれている。



  メンバーも初代アメリカ合衆国大統領のジョージ.ワシントンをはじめ、作曲家のモーツァルト、元イギリス首相チャーチル、ロシアの作家トルストイなど、数多くの著名人がいたことが知られている。だからその一方で、 “世界を背後で操っている”  など、この結社の名前が常に陰謀論の背後で見え隠れしていることは否定できない。 ( ムー世界の新七不思議より )

*400万人のなかでも著名なフリーメーソン

ベンジャミン・フランクリン(アメリカ100ドル札に描かれている肖像)
ジョージ・ワシントン(アメリカ初代大統領、1ドル札に描かれている肖像)
マシュー・ペリー(黒船来航でお馴染みのアメリカ軍人)
ジョージ4世(イギリス国王)
エドワード7世(イギリス国王)
ジョージ6世(イギリス国王)
フランツ1世(神聖ローマ皇帝)
フリードリヒ2世(プロイセン王)
ロベスピエール(フランス革命家)
ジェームズ・ワット(イギリス蒸気機関の発明者)
アイザック・ニュートン(万有引力の法則)
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(ドイツ詩人他)
モーツァルト(音楽家)
トーマス・グラバー(グラバー商会)
西周(日本初のフリーメイソン)
ダグラス・マッカーサー(GHQ)
鳩山一郎(首相)




  ◎イルミナティ .............. フリーメーソンに影響を与えた啓明思想集団

  イルミナティ ........... 正式名称を 「 バイエルン啓明結社 」  という。1776年5月1日、ドイツのバイエルン州インゴルシュタットという街で創設された。ただし、活動期間はわずか9年にすぎない。にもかかわらず、陰謀論が語られるときに必ずといっていいほど名前が挙げられるのがこのイルミナティなのだ。

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イルミナティの創設者、アダム.ヴァイスハウプト。彼の政治的、哲学的な思想はフリーメーソンに影響をあたえた。



  創設者のアダム.ヴァイスハウプトは、自由と平等をだれもが享受できる理想社会建設を目指してこの結社を立ち上げた。「 啓明=イルミネーション 」  という名称は、そのために人間は、自分自身の力で意識や人格、霊格を高め、より高い霊性を獲得しなければならないという、彼の信条からきている。

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フランス革命の担い手の多くはフリーメーソンだった。彼らはヴァイスハウプトとイルミナティの影響を強く受けていたことが知られている。


  王政下におけるイルミナティのこの思想は多くの共感を得て、急速に勢力を拡大していった。その原動力となったのが、フリーメーソンだ。というのも当時、フリーメーソンには政治的、哲学的な思想がほぼ皆無だった。それに不満を感じたメンバーが積極的にイルミナティに参加し、フリーメーソンのロッジ ( 支部 ) に、ヴァイスハウプト考案の儀礼 ( 位階システム ) を導入したのである。しかもヴァイスハウプト自身、1777年にミュンヘンでフリーメーソンに参入している。そこで組織の運営方法などを吸収し、メーソン内部にもイルミナティ的思想を浸透させていった。イルミナティが 「 フリーメーソンの上部組織 」  とされるのは、こうしたことが理由なのだ。

  しかし、彼らが目指した自由や平等は、当時の世界を支配する封建社会の完全否定でもあった。そのためドイツ政府は1785年に、イルミナティの活動を禁止、ヴァイスハウプトも亡命してイルミナティは消滅した。だが、20世紀になるとイギリス人作家のN.ウェブスター夫人が著作中で、イルミナティは消滅しておらず、地下に潜って世界史を自在に操ってきたと主張。かくして蘇ったイルミナティは、以後の陰謀論の 「 核 」  となっていったのである。( ムー世界の新七不思議より )



  ◎薔薇十字団 .............. 古代の智慧を伝える幻想の結社


  17世紀初頭、薔薇十字団と呼ばれる秘密結社が、ドイツで話題になった。きっかけは1614年、「 友愛団体の名声 」  「 友愛団の告白 」  「 1959年のクリスチャン.ローゼンクロイツの化学の結婚 」  という本が敢行されたことだった。著者発行人も不明だが、当時の知識人の熱い注目を集めたのである。

  そこに書かれていたのは、クリスチャン.ローゼンクロイツなる貴族の生涯だった。彼は1378年にドイツの貧しい貴族の家に生まれた。幼児を修道院で過ごすと、16歳で東方へ叡智を求める旅に出た。旅の途中で賢者たちと交流し古代アトランティス以来、密かに伝えられてきたあらゆる叡智を身につける。その後、ローゼンクロイツはヨーロッパに戻ってきたが、彼が語る叡智は先進国で、だれにも理解できなかった。しかたなく彼は7人の同胞を呼び寄せ、「 精霊の家 」  なる拠点でどの知識を伝えた。これが薔薇十字団なる秘密結社の始まりだというわけだ。

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クリスチャン.ローゼンクロイツ。東方への旅においてさまざまな賢者から古代の叡智を授けられたという。


  薔薇十字団には 「 6つの誓約 」  があり、無料で病人を癒すこと、年に一度は本部に集まり集会を開くこと、世を去る前に後継者を見出して秘儀を授けること、結社の存在を120年間は明かしてはならないことなどが定められていた。

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薔薇十字団の理想的な教えを象徴しているという絵。「見えない学院」 と呼ばれる。



  この物語を知った当時のインテリ層や貴族たちは、ローゼンクロイツの叡智に激しく憧れ、薔薇十字団への入団希望者が続出した。有名な哲学者デカルトも、薔薇十字団に入会できないものかとひたすら尽力したという。なにしろローゼンクロイツが説いた古代の叡智は、彼らが願ってやまない練金術の奥義であり、不老不死さえも実現していたというのだから無理もない。


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薔薇十字団の紋章



  とはいえ、会の本部や受付方法などは不明で、具体的な活動内容もわからない。その結果、見つからない自分たちで作ってしまえという動きが起こり、たくさんの薔薇十字団の系譜にあたる秘密結社が生まれていったのである。  (ムー世界の新七不思議より)



  欧州を中心に活動する秘密結社 「 薔薇十字団 」

 「 クラブ・オブ・ジ・アイランド 」


  薔薇十字団は、フリーメーソンの母体になったと言われている古い秘密結社である。クリスチャン・ローゼンクロイツの遺志を継ぎ、古代の叡智である錬金術や魔術などを学ぶ組織であり、1614年にドイツのカッセルで刊行された怪文書 『 全世界の普遍的かつ総体的改革 』 にその名前が見える。古代ユダヤのカバラの叡知を学習するのが目的で政治的、経済的な活動は活発ではないが、その知識体系は高く評価されている。哲学的な勉学、宗教的な研鑽には大きな意味があると言われている。その薔薇十字団の入会申込書がこれである。明るいパンフレットと一緒に、入会希望者に配布されており、秘密結社のようなおどろおどろしいイメージはない。


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薔薇十字団の入会申込書



  クラブ・オブ・ジ・アイランドとは、ヨーロッパの王侯・貴族の親睦会であるといわれている。数百年に渡り、ヨーロッパの王族や貴族は婚姻によりつながっており、その結束による政治力、経済力はメーソンをも凌駕するというが、単なる社交界のネットワークだと主張する研究家もおり、実体が不明である。( 山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部 ) 参照




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魔術グループ「黄金の夜明け団」とは



  ◎黄金の夜明け団 ............. 近代魔術結社の祖


  近代魔術結社の原型といわれているのが黄金の夜明け団 ( ゴールデン.ドーン ) だ。 1888年にロンドンで、W.W.ウェスコット、S.L.マグレガー.メイザース、W.R.ウッドマンの3人によって結成、当時のヨーロッパは神秘主義やオカルト思想が大ブームだったこともあり、文化人や有名人がこぞって入団した。そういう意味では必ずしも 「 秘密 」  結社だったわけではなく団員、も男女を問わずオープンに募集されており、一種の魔術サロンの状態だったといっていい。 特徴は、3グループ11段階の位段階制度を設けたことにある。第1教団 ( 外陣 ) は新参者、生成者、理論者、実践者、哲人の5位階、第2教団 ( 内陣 ) は小熟達者、大熟達者、被免熟達者の3位階、第3教団は神殿の頭領、魔術師、至元者の3位階に分けられ、それぞれ魔術的叡智を得ることで上昇していくものとされた。

  位階の体系づけをしたのは、創設者のひとりであるメイザースだったとされる。にもかかわらず、結成当初は重要なメッセージを伝える 「 未知の上位者 」  との交信ができるのはウェスコットだけとされていた。これが内部対立を招き、メイザースも交信ができると主張しはじめたことで、ウェスコットらは離脱。1900年にはメイザースも除名され、別の魔術結社 「 A.O. ( アルファ.オメガ ) 」  立ちあげることになる。 設立メンバーがいなくなったあとも内部分裂は続き、ついには団の名前を騙った詐欺事件までが発生。「 暁の星 」  と改名したり、反発するグループが 「 聖黄金の夜明け 」  を結成して分派したりするなどして、黄金の夜明け団は消え去った。

  ちなみに黄金の夜明け団結成当初は、後にノーベル文学賞を受賞するW.B.イェイツや、女優のフロレンス.ファーらもサロンに出入りしており、トート版タロットカードを作った 「 大魔術師 」  と呼ばれることになるアレイスター.クロウリーも団員だった。  ( ムー世界の新七不思議より )


  黄金の夜明け団では、カバラの 「 生命の樹 」 を基礎とした位階のシステムを取り入れています。黄金の夜明け団が取り入れた位階システムでは、カバラで重要な意味をもつ 「 セフィロトの樹 」 に団の位階をなぞらえました。黄金の夜明け団には3段階の階級があります。

  ファースト・オーダー(第1団):黄金の夜明け団 一番下位の階級で入門者はここから始まります。外陣、アウターとも呼ばれます。
   セカンド・オーダー(第2団):ルビーの薔薇と金の十字団 実力を認められた幹部たちが属し、指導者たちが属しているのもこの階級です。内陣、インナーとも呼ばれます。
    サード・オーダー(第3団):秘密の首領 肉体を持たない高次の存在が属する階級。生きている人間はこの階級に到達することはできないとされています。

この3階級の中に位階が設けられ、入門後は指導を受けながら、資格ありと認められれば上位の位階へと昇格することができます。

  ここで黄金の夜明け団が位階に取り入れたセフィロトの樹について説明します。セフィロトの樹は神秘主義思想カバラを象徴するものとされています。聖書では 「 生命の樹 」、北欧神話では 「 ユグドラシル 」 として、世界の宗教や神話の中にも登場しています。セフィロトの樹について解釈はさまざまあるようですが、神の摂理による宇宙の創造を表しているともされ、3本の柱に配置された10個の球体 ( セフィラ ) と、球体を結ぶ22本の小径で構成されています。あらゆるものはセフィラで表せるとされ、黄金の夜明け団はこのセフィラに対応して位階システムを作り上げました。


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  現代へと引き継がれる魔術


  組織が曙の星と名前を変えた時点で、黄金の夜明け団という魔術結社は歴史から姿を消しました。しかし黄金の夜明け団で魔術を学んだ人びとが新たな魔術結社を作り出し、それは各地に広まりました。現代社会においても、黄金の夜明け団から派生した魔術結社や、魔術体系の流れをくむ魔術結社はいくつも存在しています。始まりはオカルトに関心のある数人が集まるサロン的だったものが、近代魔術の基礎を作り上げ、多くの魔術結社に影響を与える存在にまでなりました。黄金の夜明け団は無くなりましたが、現代にまで引き継がれる魔術の研究は、紛れもなく大きな功績と言えるのではないでしょうか。(  アマテラスチャンネル49参照 )



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ナチスはチベットを探索し、失われた超エネルギー、ヴリルを追い求めていた。


  ◎ナチスの神秘主義秘密結社


  ヴリル協会は、1917年にドイツでナチスによって結成されたとされる。イギリスの作家エドワード.ブルワー=リットンのSF小説 「 来るべき種族 」  らしい。小説のなかでリットンは、「 ヴリル.ヤ 」  という未知の種族が地底にユートピアを建設しており、核以上のパワーをもつ力 「 ヴリル 」  を活用している、と書いた。それは別名、「 黒い太陽 」  とも呼ばれる。ヴリル協会は、この未知のパワーであるヴリルと交信し、「 黒い太陽 」  の力を手にすることを目的として生まれたというのである。リットンは英国薔薇十字団の幹部でもあったため、小説の内容もあながち空想の産物ではない、と当時は思われていたようだ。ただし、ヴリル協会に関する資料はほぼ皆無で、その実態は謎に包まれており、アメリカに亡命したロケット工学者ウィリー.レイが著作 「 ナチス帝国の疑似科学 」  で触れているだけだ。

  あるいは、1960年にフランスで出版されたジャック.ペルジェとルイ.ポーウェルの共著 「 魔術師の朝 」  では、ドイツの地政学者カール.ハウスホーファーがヴリル協会の会員だったとしている。 ハウスホーファーはアジアの神秘主義研究の権威でもあり、ヒトラーやナチスにも大きな影響を与えた。1908年からは4年間、日本に滞在し、仏教に魅せられ、チベットにも渡っている。その後に彼は、ドイツと日本は 「 生存圏 」 を獲得すべきだと主張し、これが日独同盟の推進力にもなった。さらに、英国薔薇十字団協会や黄金の夜明け団ともつながりがあったという。ハウスホーファーが東洋的な叡智や魔術に造詣が深かったことは間違いないわけで、当然チベットの地底都市伝説 .......... シャンバラやアガルタ .......... の存在も意識していたことだろう。 ということは、「 ヴリル.ヤ 」  が実はこの伝説の地底都市であった可能性もある。ただしハウスホーファー自身は、ヴリル協会についていっさいコメントを残していない。



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ナチスが開発した空飛ぶ円盤「ヴリル」。



  第2次世界大戦において、ヨーロッパを蹂躙したアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ。彼らの思想、行動の背景には、さまざまな神秘主義思想の影響があったことが知られています。なかでも、ヒトラーとナチス・ドイツを、超古代文明の失われた叡智=@の探求に駆り立てた神秘主義結社のひとつが、今回、紹介した 「 ヴリル協会 」  です。イギリスの作家エドワード.ブルワー=リットンのSF小説 「 来るべき種族 」、この作品では、地球内部には天変地異で滅んだ種族 ( アトランティス人ともいわれる ) の末裔 「 ヴリル・ヤ 」 が、未知の超エネルギー 「 ヴリル・パワー 」 を使って、地上の科学をはるかにしのぐ文明をもつ楽園を築いている、と描写しています。 ( ムー世界の新七不思議より )




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アメリカの超名門イエール大学で結成されたスカル&ボーンズ。入会を許されるのは15名。歴代のメンバーからは大統領やノーベル賞学者を多数輩出している。



  ◎アメリカを動かす秘密クラブ


  アメリカのコネチカット州ニューヘイブン市にあるイエール大学で、学生どうしの秘密クラブとして1832年に結成されたのが、「 スカル&ボーンズ 」だ。そもそもイエール大学は世界でも最高レベルの大学のひとつとされており、これまでに5人の大統領や56人のノーベル賞受賞者を輩出している名門だ。その大学の新入生のなかで、スカル&ボーンズに入会を許されるのはわずか15名ほどといわれている。つまり、会員はいずれもエリート中のエリートばかりということになるわけだ。当然、社会に出た彼らは、国防総省や国務省といった国家の中枢機関に就職したり、金融、石油などの重要企業の経営者といった重要ポストに就くことになる。こうしてスカル&ボーンズは、アメリカ国家における影響力を強めてきたのである。

  たとえば、2004年に行われたアメリカ大統領選挙では、ふたりの候補者 ( ジョン.ケリーとジョウージ.Wブシュ ) がいずれもスカル&ボーンズのメンバーだった。ちなみにいわゆるパパ.ブシュもやはりスカル&ボーンズである。さらに、歴代のCIA長官の座は、いずれもスカル&ボーンズが占めてきたといわれているのである。陰謀史観の研究者によれば、スカル&ボーンズの母体はドイツのイルミナティだったとされる。スカル&ボーンズは、新世界秩序の形成というイルミナティの目的を達成するために、アメリカ政治を動かしているのだ、と。

  はたしてそれが、どこまで事実なのかはわからない。彼らは、仲間どうしの秘密を厳守しているので、実態はなかなか外部に漏れないからである。しかも情報化が進んだ現代社会において、これほど庶民離れしたエリート集団の実態が公になれば、大きな反発を招くのは必至だ。そのため現代では、スカル&ボーンズの名前が前面に出されることは、きわめて少なくなっているようである。( ムー世界の新七不思議より )



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スカル&ボーンズは、1856年には 「 ラッセル信託基金 」 の名の下に正規の法人格を取得している。ウィリアム・ラッセルがドイツに留学した際、どうやらイルミナティと接触したようで、帰国後にその秘密結社の儀式を真似て設立されたのがスカル&ボーンズである。イルミナティとの違いは、スカル&ボーンズはホワイト・アングロサクソン・プロテスタントのみで構成されるという点である。従って、WASPのみで構成された米国版イルミナティと言ってもよいかと思われる。 


  入会式に関しては、「 新入生がドロレスをする 」 「 棺桶に入り、初体験などを告白する 」 と言われる。入会者へは高価な振り子時計が送られ、卒業の際には1万6000ドル ( 約190万円 ) が送られるという。 ( 隠された真実より )



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三百人委員会とは? (組織図)



  ◎秘密結社の最高組織


  「 三百人委員会 」 は、世界支配を目指す秘密結社の最高組織だ。設立は1727年、すでに300年近い歴史をもつ。もともとはイギリスの東インド会社における300人の会議から生まれたとされる。元英国情報部MI6のメンバーだったと自称するジョン.コールマンなる人物によれば、三百人委員会の最高大総監にはフリーメーソンの最高位の人物が就任しており、また現在ではイルミナティの中心組織にもなっているという。さらにその一方で、イギリスの大財閥ロスチャイルド家の資産を、政治的に利用するために作られた組織だという説もある。



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三百人委員会の歴史は、イギリスの東インド会社における300人評議会から生まれたとされる。



  このように、結社の正体はいまひとつはっきりしない。だが、彼らが目指している世界については明確だ。新世界秩序を構築することで、一部のエリート層によって世界を効果的に支配することとされている。簡単にいえば、悪魔主義により地球支配計画である。批判者によれば、彼らが目指しているのは 「 悪魔王国 」 の建設にほかならず、それはまさに 「 地球人類を家畜化 」  することだという。ポイントは、三百人委員会の主体はあくまでもイギリスにあるということだ。本部もイギリスにあるし、主要メンバーもイギリス王室が中心である。そこに著名な政治家、投資家、科学者、実業家、資産家などが加わることで組織が構成されている。




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三百人委員会はエリート層の悪魔主義による地球支配を目論んでいる



  アメリカ政府をはじめとする世界の国家は、あくまでも彼ら三百人委員会の支配下に置かれているのだ。そのトップに君臨しているのが、エリザベス2世女王だという。彼ら新世界秩序構築のために、21か条の戦略を掲げているといわれている。その中には 「 世界三大宗教を壊滅する 」 ( 第3条 )、「 三百人委員会によって無駄な30億人の人々を死滅させる 」 ( 第9条 ) といった過激なくだりもあり、現在の世界の混乱はすべて、彼らの意図のもとで行われていると主張する研究者もいるのである。  ( ムー世界の新七不思議より 
) ... (転載記事) ... 。


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  作られる歴史の事実より明かされる歴史の真実を知る “事” で人類は大人へと成長する。“世界は誰かの悪事で出来ている” これが判って生きるのと生きないのとでは天と地の差があるでしょう。母なる地球を愛し愛される為にも人類は正しい選択をしなければいけない一大転機に来ているのではないかと不肖小生も思います 。。。
posted by 石君 at 02:22| 東京 ☁| Comment(0) | ※大東亜フューチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月08日

国体..


  コロナショックで揺れる世界、日本国民の未来は如何にこの国の国体を考えてみる ... 。


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  現代にも続く 「 国体 」 とは、日本人がまとまる秘訣のことだった!


  今日、「 国体 」 という言葉は、「 国民体育大会 」 の略称として用いられています。「 国民体育大会 」 に合わせて建設された 「 国体道路 」 も各地にありますが、もともとは別の意味で用いられていました。例えば、明治23 ( 1890 ) 年に発布された教育勅語の冒頭に、このような一節が存在します。


「 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニコヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 」


  ここに 「 国体 ( 國體 ) 」 という言葉が出て参ります。


「 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ 」 とありますが、これは 「 天皇を中心として国民が一体となっていることが国体の真髄である 」 という意味です。この 「 国体 」 という言葉、歴史を遡ってみますと、実は奈良時代から存在する言葉です。『 出雲国造神賀詞 ( いずものくにのみやつこのかんよごと ) 』 という、新任の出雲国造が天皇に奉った文章の中に登場します。ただ、この語には 「 くにかた 」 という読みが付されており、地理・地勢といった外面的な国土の形という意味だったようです。

その後、仏教や儒教の影響受け、様々な意味が付加されて行きます。

「 国体 」 という漢語として広く用いられるようになったのは、江戸時代の後期からです。朱子学の影響を受けて成立した 「 水戸学 」 において、天皇の存在と結びつけて用いられるようになりました。当時の用法を見てみますと、「 国の本体 」・「 国の体質 」・「 国の体面 」 といったニュアンスで使われています。そうした水戸学の影響を受けた吉田松陰が、『 講孟箚記 』 という著書の中で 「 日本国家の独自性 」 を論ずる際に 「 国体 」 という言葉を用いました。こうした経緯により、明治維新の頃には 「 国体 」 イコール 「 天皇を戴く日本国家の在り方 」 という観念が成立します。明治9 ( 1876 ) 年、明治天皇は 『 憲法起草の詔 ( 元老院議長有栖川宮熾仁親王へ国憲起草を命ずるの勅語 ) 』 を下されましたが、そこには 「 朕爰ニ我建国ノ体ニ基キ広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌シテ以テ国憲ヲ定メントス 」 という文言があります。ここでいう 「 建国ノ体 」 と 「 国体 」 は同義といってよいでしょう。その後、明治22 ( 1889 ) 年にて大日本帝国憲法が制定されましたが、この憲法を憲法学者が解釈していく課程で、“Staatsform” というドイツ語の訳語として 「 国体 」 が用いられるようになります。

  この “Staatsform” は、“Staats” 「  」 の “form” 「  」 という意味ですが、それは 「 君主国体 」 「 貴族国体 」 「 民主国体 」 という3つに分類されます。ここからも分かるように、これは政治体制と同義です。ですから、これは 「 国体 」 ではなく 「 政体 」 と呼ぶべきであるいう学者もいました。一方、「 日本国家の独自性 」 というところから、政治体制ではなく 「 国家の精神的特徴 」 といった意味で用いられることもありました。こうした考えは現代でも根強く、故・渡部昇一氏は 「 国柄 」 と同様のものという見解を示されていましたが、私はそこに疑問があります。「 人体 」 と 「 人柄 」 という言葉について考えてみてください。「 人体 」 は人の身体を意味し、「 人柄 」 は人の性格を意味します。この両者は明らかに違うものです。この事実を踏まえると、「 国体 」 と 「 国柄 」 を安易に同一視することは難しいのではないでしょうか。では、どのように考えるべきでしょうか。単なる 「 政治体制 」 でもなければ、単なる 「 国家の精神的特徴 」 でもなく、それらを包括する何か。別の言い方をすれば、そういった 「 政治体制 」 や 「 国家の精神的特徴 」 を現象たらしめる根底的存在、人々が日本人として 「 一体 」 であるという社会的事実こそ 「 国体 」 と呼ぶに相応しいのではないでしょうか。こうした 「 国体 」 という土台の上に政治体制としての 「 政体 」 があり、精神的特徴としての 「 国柄 」 が生み出される、このように考えて見るとすっきりします。もちろん、そうした社会的事実たる 「 国体 」 の中心に天皇が居られます。そうした 「 国体 」 は、大東亜戦争に敗れた後も変化していないのではないでしょうか。現に、大東亜戦争敗戦に際し、昭和天皇は勅語の中で 「 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ 」 あるいは 「 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ 」 と仰せになっています。

  もし、これが単なる政治体制を意味するのであれば、大日本帝国憲法を実質的に否定する形で日本国憲法が制定された瞬間に、この勅語の中身が否定されたことになるわけです。あるいは精神的特徴という意味であれば、占領下において大きく歪められた側面もあります。「 護持シ得テ 」 とも 「 精果ヲ発揚シ 」 とも言い難い部分があります。けれども、「 天皇を中心とする社会的事実 」 という観点に立てば、私たちは今日に至るまで天皇を中心とする社会を維持していると言えるのではないでしょうか。御譲位を巡る今上陛下 ( 上皇さま ) の 「 お言葉 」 がテレビで放映され、その 「 お言葉 」 によって日本社会が大きく揺り動かされました。日本国憲法では 「 象徴 」 うんぬん、あるいは 「 政治的権能を持たない 」 とされていようが、私たちは今上陛下の 「 お言葉 」 に強い衝撃を受け、その御意志を実現すべく特例法を制定したのです。これこそ、私たちが 「 天皇を中心とする社会を今日もなお維持している 」 ことの証左です。なぜ、こうしたことが現実に起こったのでしょうか。それは単なる社会的事実であるとともに、国民が一丸となって天皇の御意志を実現せねばならぬという規範意識を私たちが潜在的に有しているからです。先に触れた教育勅語の 「 克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニ 」 の精神は、今なお息づいているのです。このような 「 天皇に帰一することで、国家として一体になること 」 は、国際社会における日本人の大きな強みです。この強みを、どうやって守り、さらに強化していくか、これが今後の日本人にとっての課題でしょう
 ... (転載記事) ... 。


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  令和天皇時代に入り世界が大きく変化しています。隣国韓国も民族の悲願である南北統一に向けその歴史が検証されてます。李氏朝鮮王室へ皇族から嫁いだ李方子 ( り・まさこ ) 様は晩年も韓国人として障害者支援に尽力しています。日本の天皇家が東アジアの未来に大きな影響力が有る歴史上の事実です ... 。

  天皇家の歴史新羅・高麗・李氏朝鮮の歴史はある意味一体とみてもよいのではないかとも思います。日本の国体を考える時両国の関係を切り離しては未来も過去も語れないと思うのは可笑しいでしょうか。作られた歴史の事実より明かされる歴史の真実を知る “事” でこの国 ( 日本 ) の国体を語れるのではないかと不肖小生も思います 。。。
posted by 石君 at 01:58| 東京 ☀| Comment(0) | ※大東亜フューチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする