2020年04月09日

弥勒菩薩..


  弥勒菩薩が宇宙人だとしたら人類の敵か味方か ... 。


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  ヤーべは弥勒菩薩と同一存在か ... 高校時代に滋賀高原にスキーに行った時高熱で部屋で一人寝ていたら窓が全開で “天狗” を見た “事” があった。誰も信じなかったが確かに見た。米国のトランプ大統領は近日世界戒厳令を敷くかも知れない。その時日本政府は平和安保法制の下自衛隊を出動させるだろう ... 。

  最近、過去云えなかった出来事をカミングアウトが出来る環境が出来て来てスッキリしている。トランプが宇宙軍の創設を表明していたが人類は今度のウィルスを終わりと思わず始まりと思うべきだろう。これだけの世界的な大騒ぎの裏で何も無い訳が有り得ない。人間主義の時代は大きな変革を求められるかも知れない ... 。

  それは次元世界に於ける違いだ。人間界に固執すれば肉体の死を経験するだろうが次元上昇すれば肉体の死をも経験しなくて済む。母なる地球の誕生と共に存在して来た “生命” か否か違う惑星から学習に来た “生命” か否かでも大きく違うからだ。ビィーガン愛好家、イルカやクジラの保護主義者、同姓愛者など人類でもその違いが顕著だ ... 。

  信心して18年目だけど弥勒菩薩が抜けた御本尊様に疑問があったがそれもハッキリ云って “人間主義” そのものだからだろう。人間世界は今度の世界的危機の後に来る世界統一政府による “AI・ベーシックインカム・マイナンバー制度” で生きるしかなくなる ... 。

  その後も激変が起こり弥勒菩薩が降臨する。仏教ではそれを予言している。来世は肉体を持たない次元上昇を感じていたこれで全ての辻褄が合って来た。未知との遭遇とでも云おうか一説にはみろくは数字で369や666や567とも云われている。何かを感じて生きて来た集大成が迫って来た感が否めない昨今だが具体的な現実にハッキリした答えが出るまでは勤行唱題行に励みたいと不肖小生も思います 。。。 
posted by 石君 at 02:22| 東京 ☀| Comment(0) | 広 宣 流 布 、弐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月03日

桜..



  “散る桜散らぬ桜も散る桜” ... 。


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  春の陽気に蒲田、大森と買い物に出た。花粉症でマスクが欲しいならまだしも。何でもないのにマスクをしている人々が可愛そうに見えた。ある意味異様な光景の中なんだけど天気と桜に励まされてとても清清しい心地良い想いを感じでいた。こんな時だから当然 “生老病死” を考えるのだけどもし新型コロナウィルスにでも感染して死んだらと  ... 。

  でも意外に答えは簡単だった。人間何時かは死ぬ運が悪けれゃ早く死ぬ良くても何れ死ぬ。だった。これは、“散る桜散らぬ桜も散る桜” の意味と共通する。先の戦争で軍人として多くの人が亡くなった。その戦争で死ななかった元軍人ももう90歳以上だ。人間は必ず死ぬならば目の前の桜の美しさに見入るのも善いではないかと ... 。

  無能な日本の政治家達に責任を押し付けても何も変わらない。マスク2枚も30万円も貰えるものは貰えば良いじゃないか。日蓮大聖人も池上で御入滅した折2月というのに桜の木に満開の桜が咲き誇ったというではないか。それはある意味生老病死を “生も歓喜死も歓喜” と遺したのではないかと ... 。

  仏法では前世・今世・来世、を説く。今世で生まれてから死ぬまで幸福が一生続く人なら前世は間違いなく “菩薩” だったのでしょう。でもその一生は様々な筈です。例えば20歳で終わる人もいれば100歳まで長生きして死ぬ人もいる。その価値は本人以外には解り様がないと思うのです ... 。

  所願満足です。この境地に至ってない人は至るまで “祈る動く祈る動く祈る動く” しかありません。世界が否地球がその宿命転換の転機に偶々否必然として居合わせた我々人類は幸か不幸かその大舞台を一部始終を観劇否演じる幸運に恵まれている。幸せは歩いて来ないだから歩いていくんだよ。だと不肖小生も思います 。。。


  
posted by 石君 at 22:22| 東京 ☀| Comment(0) | 広 宣 流 布 、弐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月21日

ソウルシンガー..


  スティーヴィー・ワンダーは盲目のソウルシンガー ... 。



  彼は生まれてすぐ視力を失った。そのことが、彼の 「 音 」 への感性を研ぎ澄ますことになったのかも知れません。子どものころからピアノ、ハーモニカ、ドラムをマスターし、11歳でデビューを果たし、やがてトップスターになりました。

スティーヴィー・ワンダーは次のように言っています。
 目が見えなくても、思い描くことができないわけじゃない。私にできることについて私はベストを尽くす 」
国際障害者デー ( 12月3日 ) に彼は次のように言いました。
「 私を含むほかの障害者に、能力をフルに機能させる機会を与えたら、どれだけ素晴らしい世界になるか想像してみてください 」
オーストラリア出身の精神科医アルフレッド・アドラーは、
「 弱点は強みに変えられる 」と述べています。
ヘレン・ケラーは、
「 強く欲しいと思えば、かならずどうにかして得られるものだと信じていました 」 と言っています。

スティーヴィー・ワンダーは、音の世界を極めました。彼の努力は並大抵のことではなかったにせよ、障がいをものともせず、成功者になりました。

障害があってもかくの如しで、その他、一般的な能力の欠如、性格の問題、やる気の問題、病気などもありますが、それを理由に
 「 だからできない 」
 「 だからムリ 」
 と諦めるのは、まったくもったいないことです。むしろ障害を乗り越えるからこそ、人生は美しく、輝かしくなるのではないでしょうか。

先日、聖教新聞の名字の言に次の内容がありました。

>障害のある超未熟児を数多く診てきた医師が語った。
「 障がい者がいるからこそ、私たちは優しくなれる 」

>アメリカの作家パール・バックは、母として知的障害の娘を育てた。その日々を
「 母よ、嘆くことなかれ 」
 に綴った。
「 娘がいなければ、わたしはきっと自分よりも能力の低い人に我慢できない、あの傲慢な態度を持ち続けていたに違いありません。娘はわたしに “自分を低くすること” を教えてくれたのです 」

( 聖教新聞2020年3月5日より )

障害がある人も、障がい者と交流する人も、その問題に触れて、沢山の気づきや悟りを得ています。

>三障四魔と申す 障いできたれば 賢者はよろこび 愚者は退く.
→sokafree.exblog.jp/29934991/

この御文は、障害に遭遇しても、その障がいをバネにして成長する、幸せのきっかけとする ( 境涯を開く・悟る ) の意味でしょう。

日蓮仏法 ( 法華経 ) の行者は、お題目の力で賢者になれます。苦をば苦と悟り、楽をば楽と開けます。

さあ、祈ってチャレンジしましょう!さあ、勇気の前進をしましょう!
 ... (転載記事) ... 。


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  幼馴染の親友が障害者就労支援事業の拡大に尽力しています。先日地元で建設業を営む中高の先輩にこの事業に興味はありませんか!?と尋ねた。先輩は興味があるみたいだった。真っ先に取り残されてしまう弱者に手を差し伸べるべく立ち上がった親友の心意気に感動した。何か御手伝い出来ればと真剣に考えている ... 。

  次兄の中高時代の親友も突然盲目になりマッサージ師の免許を取って奮闘している。そんな問題に触れて人は沢山の気つ”きや悟りを得る。信仰はそれらのことに対してもそっと優しく後押ししてくれる有り難い妙薬だ。障いできたれば 賢者はよろこび 愚者は退く。勇気の源泉である名言を心に刻んでまた強く生きて行きたいと不肖小生も思います 。。。


  
posted by 石君 at 01:55| 東京 ☀| Comment(0) | 広 宣 流 布 、弐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする