2014年11月01日

原発ゼロへ..

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                         ※後藤新平

  ●原発はどのようにして日本で推進されたか

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  日本に原発を持ち込むことに熱中した二人の人物がいる。一人は、正力松太郎氏である。正力は、A級戦犯で巣鴨プリズンにいましたけど、アメリカのCIAが、CIAの工作員になることを条件に、無罪放免、釈放された。この当時は、A級戦犯の人でも、手のひらを返すように変身しアメリカの工作員( 手先や僕 )になることで、釈放された戦争犯罪者は多い、有名なところではロッキード事件等で有名な児玉誉士夫氏もその一人。原発の推進で象徴的なもう一人は、今も元気な中曽根康弘氏だ。中曽根は1954年に米国ハーバード大学で夏季セミナーを受け、その時キシンジャーと出会い、自らの政治的野心 ( アメリカの後ろ盾を利用しながら成り上がる政治家を目指すこと ) をキッシンジャーに堂々と告白し、自ら進んでCIAのテストを受け、見事合格。その後、CIAやキッシンジャーの忠実な僕となった。中曽根の最初のミッションは、原発を政治的に日本の国策とし日本を原発国家にすることであった。この為の、政治工作の資金提供はCIAから相当な金額が中曽根に渡ったという。政治的後ろ盾 ( アメリカ ) を得た中曽根は若干37歳の若手一議員でしかなかったが、いきなり台頭し、権勢をふるい、次々と、原子力関連法案を可決させるのである。一方、正力も、中曽根に歩調を合わせ、CIAからの原発推進のミッションと贅沢な政治工作資金を得て、中曽根・正力のコンビで、一気に、原発導入、原発推進を我が国の国策とすることに成功させた ... 。

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                        ※正力松太郎

  正力はそもそも、後藤新平氏の子分で、後藤が戦前の日本共産党の活動を水面下で側面支援 ( 資金提供や人材提供 ) しながら、当時、特高だった正力に日本共産党の内部情報を密かに流し、わざとマッチポンプ的な取り締まりをさせて日本共産党を暴走させないように間接的に後藤の意のままにコントロールしていて、正力はその片腕として、その一翼を担っていた訳だから根っからの工作員と言うか、根っからの工作活動家だった。戦犯で巣鴨にいた時には、正力にとっては、CIAからのオファーは渡りに船というか、願ったりかなったりということだったんだろうと思うし、正力の屈折した工作員たる人生観からすれば生きていくには、仕方がないことだったのかもしれない。ただ、CIAは戦前の正力や後藤の仕事 ( 工作活動や諜報活動 ) をしっかり調査済みで、正力はCIAのニーズにぴったり合致した男だった。CIAからみれば、「 正力は使える 」 と思ったはずだ。だから、正力をスカウトした。中曽根は、キッシンジャーと出会う前は、まだまだ若くて政治的な力はなかったけど、野心だけは人一倍あった戦後の日本人政治家で成りあがろうと思ったら、宗主国アメリカに気に入られれたり、宗主国アメリカの資金援助があったり、怖い宗主国アメリカの政治的後ろ盾がないと無理だと思っていたと確信していたんだろうと思う。日本の政治家なんて、しょせん、そんなもん我々に伝わってくるのは、お化粧を施した彼らのねつ造された美しいサクセスストーリーや美談ばかりだから・・。問題なのは、この表面上のお化粧を施した美談だけを盲目的に信じ切って、正力や中曽根を崇拝してる人がいるということ・・まさに、騙されることを欲し、騙される皮肉もんだと思う ... 。


 ※ (推定資料) ジェイコブロスチャイルドとその一族
    総資産 390兆8000億円 ( イギリス ロスチャイルド家 )

           ダビッドレネドロスチャイルドとその一族
    総資産 282兆1000億円 ( フランス ロスチャイルド家 )

           デイビットロックフェラー     
    総資産 175兆3000億円


  客 : ところで、中曽根・正力コンビで、とんとん拍子に、原発が日本に建設されていくんだと思うけど、これも、もとを探れば、モルガン・デュポン連合とかメロンとかが、相変わらず背後で動いているのかな?

  主 : そうなんだけど、マンハッタン計画の時より、ビジネスのすそ野が大幅に広がり広範囲な企業群が原発利権に群がるようになったんだけど、それらの元締めは相変わらず、モルガン・デュポン財閥であり、ロックフェラー・メロン財閥なんだよ。

  客 : それじゃあ、その元締めのモルガンやロックフェラーやメロン財閥を支配するのはどんな連中なの?

  主 : それも、良い質問だね。具体的に言えば、クーン・ローヴ商会という投資銀行なんだけど、クーン・ローブ商会のパートナーであるルイス・L・シュトラウスが、強烈なリーダー・シップを発揮してCIAやキッシンジャーに日本への原発推進を指示したんだ。

  客 : じゃあ、そのルイス・シュトラウスが原発の親玉なの?

  主 : いや、彼にも、怖い怖い本当のご主人様がいらっしゃるんだよ。そもそも、クーン・ローブ商会は、イギリスの投資銀行ロスチャイルド商会のアメリカ代理店のような位置付けの金融機関で、当時のイギリス・ロスチャイルド銀行の当主はヴィクター・ロスチャイルドだったんだ。だから、本当の意味で、原発や核兵器ビジネスの親玉は紛れもないヴィクター(1910〜1992年)だったんだよ。

  客 : やっと、原発の親玉がわかったね。ということは、ヴィクターからルイスへ、ルイスからキッシンジャーへ、そしてキッシンジャーから中曽根へという流れで、原発が我が国に54基も造られたと考えていいんだね?

  主 : イギリス→アメリカ→日本という流れの中で、“特殊な権力と莫大な金力” を駆使した重要人物個人にスポットライトを当てた原発推進のフローチャートをシンプルに作成すると、確かにそのようになる。本当は、多くの財界人や政治家や役人等大物から小物、そして数多くの企業群が介在しながら、いくつものルートがあるんだけどね。とりあえず本当に重要なエッセンスだけを示してみたんだよ。今は、ヴィクターもルイスもこの世の人ではないのでヴィクターの息子であるジェイコブが直接キッシンジャーに指示を出し、キッシンジャーが直接中曽根や自民党上層部に指示を出していたんだよ。ただ、キッシンジャーは、一昨年暮れに、怪我か何かで入院した云々、との情報が流れてきていたので、今後は、別の人間がとってかわると思う。その人物が誰になるか注目しているよ ... (転載記事) 、



 (参考動画 THRIVE )



 .......


 ●新井将敬の死は何をいみするのか?

  辛 : 1998 ( 平成10 ) 年2月に、新井将敬が亡くなりました。私は彼と仕事先で何回か顔を合わせています。あの時の、新井将敬を取り巻く自民党の中の状況はどうだったのかを教えてほしいんです。

  野中 : 僕は新井将敬に関わったほうなんですが、いまだに彼は自殺じゃないと思ってるんだ。

  辛 : それは、彼は死ぬような人ではなかったと?

  野中 : うん、客観的な状況の中で。ただ、彼は間違っていた。また自分がやってきたことは間違ってないんだ、という思いが強すぎた。僕は彼に直接話したんだから。彼は 「 議会運営委員会に出て、自分がどんなに正しかったかということを発言します 」 と言うから、僕はいさめた。「 やめとけ。おまえの周囲の壕は全部埋められているんだ。もう議会運営委員会で何を証言しようが、おまえが逮捕されることは目に見えてる。だから、いまさらこうだああだと言い訳するな。そんなことよりも、自分がこれからどうして生きるかということを考えろ。もうおまえの政治家としての生命は既に絶たれようとしている。おまえはお母さんとお父さんが苦労して大阪から出してくれて、能力があったから東大を出て大蔵省に入れた。このキャリアに恥ずかしくない生き方とはどういうものかを考えてみろ 」 それが亡くなる2日前かな。

  辛 : 彼は何て言いましたか。

  野中 : 「 いや、私は正しいんだ。私は正しいことを正しく国会の議運で証言するんだ。そうしたら私の潔白はわかってもらえる 」 と。「 そんな甘っちょろいところじゃないんだ。おまえは純粋過ぎる。いまさら、そんな恥ずかしいことするな 」 と僕は言ったんだけどね。 で、その2日後かな、僕が本会議場で座っておったら、亀井静香が 「 おい、えらいこっちゃ 」 って言いに来た。「 何だ? 」 と尋ねたら、「 新井将敬が行方不明だ 」 と。亀井がホテルに飛んでいったら、部屋で新井が死んだ状態だった。しかしまだ高輪の警察も知らなかったと。昨夜から一緒にいたという第一発見者の奥さんがおらなかった。亀井が僕に言うには、「 発見から警察がくるまでに2時間ぐらい間がある。その間に何があったのか、その謎が全然僕には掴めない。この事件はおかしい 」 と。

  辛 : 殺されたと?

  野中 : うん。だから新井は口封じをされたんだと。

  辛 : 新井さんが国会で、「 自分は朝鮮人だから、在日だから差別されてる 」 ってことをおっしゃっていたので、私は祖の次の日、ちょうど彼がホテルに入っている時だと思いますが、ラジオでインタビューを受けたんですよ。「 新井さんがそういうふうに言ってるけど、辛さん、どう思いますか 」 って。 私、新井さんの発言に正直申しあげてむかついたんです。だから私、かなり激しい口調で、「 洋服を着たサルだ 」 って言ったんですね。彼は、政治家になっても、在日の問題は何一つやってこなかった。朝鮮人BC級戦犯のことも、在日の今のことも、戦後補償問題のことも・・・。なのに、自分が叩かれた時になって初めて在日ってことを持ち出すのはとんでもないって言ったんです。彼が経済人だったら許すけれども、政治家っていうのは弱者救済の役目を担っているわけですからね。 そのラジオをとても多くの在日の先輩たちが聴いていて、「 新井将敬を殺したのはお前だ 」 っていう言い方をされたんです。だけど、私は新井将敬を精神的に殺したのは石原慎太郎だと思っているんですね。最初の選挙の時に・・・。

  野中 : ああ、ビラを貼ってということか?

  辛 : そうそう、新井将敬のポスター三千枚に、真っ黒いシールで 「 北朝鮮から帰化 」 と書かれたものを貼った。同じ選挙区だったので驚異に感じたのでしょう。すさまじいまでの差別事件でした。確か、彼の秘書が捕まったけど、その後も石原さんは、日本人の血ではないものが国政に関わっていいのか、と執拗に言い続けていた。そんなこともあって、おそらく、新井将敬は 「 日本人に愛される政治家 」 になりたかったんだと思うんですね。よく、右翼の友だちが言うんですよ。「 自民党の政治家は俺たちを裏で使っても表には出さないけど、新井将敬はいつも俺たちを表に出す 」 「 いつでも右翼の俺たちを後援会の最初に紹介する 」 って。だから彼は、日本人に愛される日本人になろうと頑張ったんだろうなと、私は思ったんです。でもその彼が最後に在日だからって言った時に、私はどうしても美化できなかった。弱いものを裏切った男を、許せなかったのですよね。 それと、野中さんと新井さんが会った前後だと思いますが、新井さんが在日の先輩のところに会いに行った話を聞いたんですよ。私が、「 その時新井将敬はどうだったんですか 」 って聞いたら、先輩は新井議員に、「 あんたはここ ( 在日の社会 ) を捨てて出てった人だろ。だから、今ここを凌げばまた次があるから、その世界で頑張れ 」 って。その後彼が自殺したっていう話があって、私はそれはどういうふうに自分の中で整理しようかと思ったんです。私は、はっきり言えば特権的なマイノリティなんですよね。こうやって人としゃべることもできるし、字も学ぶことができたし、それから発言するチャンスもある。そうしたらどこかで踏ん張らなきゃいけないってことが自分の中にもあるわけですね。そういう姿勢は野中さんの中にも見るんですね。

  野中 : いやあ、そんなもんじゃないけど。

  辛 : だから私にとって新井将敬っていう存在は、在日として超えなきゃいけない壁だと思っているんですが、彼は自民党の中では仲間がいなかったんでしょうか。

  野中 : そんなこともないと思いますけどね。僕らとも気安く話したし、僕は飲まんほうですから飲み食いしたりなんかするのはなかったけども、亀井静香らとも仲良かったし、ただ、彼はやっぱり 「 俺は東大を出て花の大蔵省に入ったんだ 」 という、そういうプライドが強くありすぎたんじゃないのかなあと。それが彼の甘えになってしまったんじゃないかなあと、そんな気がします。 彼には、仮に捕まったとしても、法廷闘争をやって堂々と出てくる---そういう勇気をもってほしかった。選挙の時自分の名前を書いてもらって、成長する機会を与えてくれた人々に対して責任を持つべきだったなあと思いますけどね。

  辛 : 私は、彼が朝鮮人であるということを一貫して否定し続けてきたところに人間の弱さがあるような気がしてならないんですね。

  野中 : そうかなあ。否定したかどうかは、僕は知らんね。

  辛 : 最初は自分の存在を国際化の象徴というようなかたちで、表現していたんですけども、叩かれてからは確かにかわりましたね。私は、バランスを取るために東大とか大蔵官僚っていうものが彼にとっては必要だったんじゃないかなっていう気がします。

  野中 : ああ、そりゃあそうかもしれません。ああいう道を進んだのは彼の間違いだったと思うんだ。理論派で、堂々として論陣を張っておった。論客でしたよ。彼の中にも、日本社会の中で俺は人を見返してやるんだというものがあったと思うんですよ。

  辛 : 私はあの時のお父さんとお母さんの激しい憤りの表情とか、すごく覚えていて。

  野中 : ああ、なんかね、僕も見ておれなかったですよ。

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                       『 差別と日本人 』 より ( 野中広務・辛淑玉 )


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  1990年の新井将敬は平成の竜馬と、もて囃され、颯爽としていた。その頃、韓国で発行する小誌に登場願ったことがある。取材を終えて、掲載は困るとのオフレコで、彼は出自から、その時の心情を語ってくれた。日本人らしく生きることに疲れ果てていた。同僚の日本人政治家たちは日本人を装う必要はない。がしかし、新井将敬は常に日本人らしさを意識させられていた。証券疑獄で自殺に追い込まれたとしたら、彼の美学として、生き恥を晒すことは、耐えられなかったのであろう。百年にやっと一人出た在日コリアンの政治家だ。惜しい、本当に惜しい人物だった。いまは民主党に一人、いるにはいるが…。

                                  ( 家田壮子さんの記事転載 )


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     俺に是非を説くな 激しき雪が好き

  冬の夜に、独房で鉄格子越しに外を眺めると、刑務所の塀のところについている灯りに照らされて、激しい雪が吹いているのが見える ... 。


  世俗にあってその一隅を照らし
  在野にあって権力悪と闘い
  人々を愛し共に涙を流し
  海を愛し空を愛して神々を敬い
  友情と信義を胸中にして熱く燃え
  名利を求めず正義を追い
  月を愛し酒を愛し女を愛し
  自由にして奔放であり
  一剣を懐中にして平天下を願う

          野村秋介  自問自答の訓 より ... 。



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  不肖小生の所謂 “是非を説くな激しき人生” は平成14年11月30日創価学会に入会 ( 入信 ) したその日から一変しました。只それまでは親交の厚かったお二人 ( 新井・野村 ) の思想生き様には好むと好まざるには関係なく影響を受けたことは事実だと思います。世界の平和と人類の幸福を祈りながら日々より善く平穏な余生を過ごして行きたいと願ってましたがフクシマでアトムの安全神話が完全に崩壊した今、日本の山河を死守し美しい惑星地球と共生しながら人類の未来を守る為にも原発ゼロをめざします.. それだけに、過 ( あやま ) てば則ち ( すなわち ) 改 ( あらた ) むるに憚 ( はばか ) ること勿 ( な ) かれ  “特殊な権力と莫大な金力” の主が覚醒 ( 人間革命 ) することを心から祈って已みません 。。。
posted by 石君 at 00:46| 東京 ☔| Comment(0) | 広 宣 流 布 、弐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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