2020年04月30日

永遠の生命に生きる..


  宇宙の大生命=仏の生命と合一 ( ごういつ ) することが絶対的幸福境涯という ... 。


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  法華経 第十六章  如来寿量品

   永遠の生命に生きる

  「 如来寿量品 」  が 「 法華経 」  の核心であるのは、第に仏の本体がはじめて明らかにされたことである。仏の寿命は永遠不滅であり常住であることがはっきりし、仏とは永遠不滅な宇宙の生命そのものであることがはっきりと自覚されたことである。第は、本仏の現れとして迹仏 ( しゃくぶつ )、すなわち釈尊が何故に入滅しなければならなかったか、その理由が明らかになったことである。われわれが久遠実成 ( くおんじつじょう ) の本体の大生命に生かされていることは、この 「 如来寿量品 」  を見ることによってはっきりとわかった。「 如来寿量品 」  の最後は、

毎 ( つね ) に自 ( みずか ) ら是 ( こ ) の念を作 ( な ) す。 何を以 ( もっ ) てか衆生をして無上道 ( むじょうどう ) に入り、速 ( すみ ) やかに仏身 ( ぶっしん ) を成就 ( じょうじゅ ) することを得 ( え ) せしめん  と

という経文で終わる。われわれが本仏の久遠 ( くおん ) の大生命に生かされていることをしっかりと自覚するとともに、仏はわれわれを無上道に入らせ、仏身を成就させようと考えてくださる。この 「 如来寿量品 」  で、はじめて永遠の生命である本仏の相 ( すがた ) がはっきりとわかり、われわれはこの本仏の大生命の中に生かされていることを悟るとき、大いなる勇気が生じる。

この自覚は頭で理解されるものではない。身体的な行 ( ぎょう ) によってこれが得られてくる。「 南無妙法蓮華経 」  の題目を唱えるのでもよいし、「 南無釈迦牟尼仏 」  でも 「 南無観世音菩薩 」  でもよい。あるいは、宇宙の霊気と自己の気を一つに合わせる太極拳や合気道のようなものでもよい。何でもよいが自己の肉体と精神を朝鍛夕錬 ( ちょうたんせきれん ) してゆくとき、必ず大いなる宇宙の大生命=仏の生命と合一 ( ごういつ ) することを知る。

自分は自分を超えた大いなる存在に支えられていることを知る。自分の存在を大いなる生命の中に帰投 ( きとう ) することができるとき、人は宗教的安心を決定 ( けつじょう ) することができる。そこから無限なる大いなる生命を感得 ( かんとく ) することができ、深い心の中から無限の歓喜が湧き出てくることを知る
 ... (転載記事) ... 。



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  創価学会は毎日朝夕の勤行でこの法華経如来寿量品の自我偈 ( じがげ ) を読経する。それは永遠の生命を自覚する荘厳な儀式に他ならない。入信して18年目を迎え1500万遍の唱題行を修め金欲を絶ち乞食生活にあってもその実 “絶対的幸福境涯” にいて毎日が幸福で生きていられるのも日蓮仏法就中創価学会の御蔭である ... 。

  世俗に有らば過去多くの難題問題を抱えて来たる身なれば非常識不謹慎との御指摘があっても全く不思議ではないが一切動揺する “事” などは無い。これもひとえに誹謗中傷やホームレスや極貧や病気や暴漢に遭おうともこの教え ( 信心 ) を捨てなかったからだと確信している。永遠の生命の自覚は宇宙の法則を知る喜びとを知る孤独感でも有るが ... 。

  仏教の精髄法華経の肝でも有る如来寿量品に出会って初めて己を知り悟りを得るのである。世界は激変しているがその様な “事” もこの宇宙の存在からすれば小池の水面を跳ねる水飛沫のようなものである。この法華経を真読し成仏すること以上の幸福は宇宙には存在しないからだ。難行苦行の末辿り着く高僧の境涯を日蓮仏法では即到達出来る ... 。

  こんなに有り難い教えが他に有ろう筈が無い。だから一番大切な人から入信を勧めるのは当たり前の “事” だ。宇宙で最上最高唯一無二の教えなのだからそれに水を注そうものならば法華経の行者を欺き危害を加えようものならば必ず罰が当たるのも当然なのです。暗く寒い現実世界を見ないで明るく暖かいを見ようと不肖小生も思います 。。。

   
posted by 石君 at 01:11| 東京 ☀| Comment(0) | 広 宣 流 布 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月29日

無生法忍  ( むしょうほうにん )..


  無生法忍 ( むしょうほうにん ) という最高の悟りを得たならば無数の諸仏が見えるようになる ... 。

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  五十二位 ( ごじゅうにい )

 大乗の菩薩の修行段階を52に分けて示したもの。華厳経や菩薩瓔珞本業経に基づくとされる。@十信 A十住 B十行 C十回向 D十地 E等覚 ( 仏の覚りに隣接し、間もなく仏になろうとする段階 ) F妙覚 ( 覚りの境地、菩薩が到達する最高の段階 ) を合計して五十二位となる。天台宗の解釈では、その内容の立て分け方が別教と円教とで異なっている。別教では十回向以下を凡位、初地以上を聖位とし、さらに凡位の中で十信を外凡、十住・十行・十回向を内凡 ( または三賢 ) とする。これに対し円教の菩薩の位では、十住以上を聖位、十信を内凡位とし、十信の前に法華経分別功徳品第17に説かれる 「 滅後の五品 」 の段階 ( 五品弟子位 ) を置いて外凡位とする。日蓮大聖人の仏法では、五品の位より下位である名字即の位で、五十二の階位を経ずに成仏すると説かれる


  十地 ( じゅうじ )

 「 じっち 」 とも読む。仏道修行者の修行段階・境地を10種に分けたもの。地とは能生・所依の義で、その位に住してその位の法を持つことによって果を生成するものをいう。教の浅深によって、説かれる十地の内容も異なる。主なものは ❶三乗共の十地 ❷大乗菩薩の十地などである。他に仏の十地、声聞の十地、縁覚の十地がある。

 ❶三乗共の十地。通教十地ともいう。声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通なもので、四諦・十二因縁・六波羅蜜を行じ、見思惑を断じて覚りを得る境地。@乾慧地 ( 乾慧とは法性の理水も潤し得ない乾燥した有漏の智慧で、智慧はあるが法性の空理を証得していない位。声聞の三賢位 〈 外凡 〉、菩薩の順忍以前にあたる ) A性地 ( わずかに法性の空理を得て見思惑を伏する位。声聞の四善根位 〈 内凡 〉、菩薩の順忍にあたる ) B八人地 ( 人とは忍の義で、八忍地と同じ。初めて無漏智を得て見惑を断ずるという見道十五心の位。声聞の須陀洹向、菩薩の無生法忍にあたる ) C見地 ( 見とは見惑を断尽して四諦の理を見る意で、見道第十六心の位。声聞の須陀洹果 〈 初果 〉、菩薩の阿鞞跋致 〈 不退転 〉 の位にあたる ) D薄地 ( 欲界九品の思惑のうち前の六品を断じて後の三品を残すので薄という。声聞の斯陀含果 〈 二果 〉、菩薩の阿鞞跋致以後の位にあたる ) E離欲地 ( 欲界九品の思惑を断じ尽くして欲界から離れる位。声聞の阿那含果 〈 三果 〉、菩薩の五神通を得た位にあたる ) F已弁地 ( 已作地 ) ( 三界の見思惑を断じ尽くした位。声聞界の最高位である阿羅漢果 〈 四果 〉、菩薩にとっては仏地を成就した位にあたる )G辟支仏地 ( 縁覚の位。三界の見思惑を断じたうえに習気を除いて空観に入る位。習気とは業の影響力のこと。見思惑そのものは断じ尽くしても、潜在的な影響力として残っていく惑をいう。『 摩訶止観 』 巻6上には、見惑を薪に、思惑を炭に、習気を灰に譬えている ) H菩薩地 ( 菩薩として六波羅蜜を行ずる位。空観から仮観に出て再び三界に生じて衆生を利益するので、乾慧地から離欲地までをさす。また菩薩の初発心から成道の直前までをいう ) I仏地 ( 菩薩の最後心で、一切の惑及び習気を断じ尽くして入寂する位。一切種智など諸仏がそなえる法 〈 特徴 〉 を具備した通教の仏の境地 )。

 ❷大乗菩薩の十地。菩薩の修行段階で、五十二位の第41から第50の位。無明惑を断じて中諦の理を証得する過程である。@歓喜地 ( 極喜地、喜地、初地ともいう。一分の中道の理を証得して心に歓喜を生ずる位 ) A離垢地 ( 無垢地ともいう。衆生の煩悩の垢の中に入ってしかもそこから離れる位。破戒と慳嫉の2種の垢を離れるので離垢地という ) B明地 ( 発光地ともいう。心遅苦の無明、すなわち聞思修忘失の無明惑を断じ、智慧の光明を発する位 ) C焔地 ( 焔慧地、焼然地ともいう。煩悩の薪を焼く智慧の焔が増上する位 ) D難勝地 ( 極難勝地ともいう。断じ難い無明惑に勝つ位 ) E現前地 ( 清浄な真如と最勝智があらわれる位 ) F遠行地 ( 遠く世間と二乗の道を出過する位 ) G不動 ( 中道の理に安定して住して動ずることがない位 ) H善慧地 ( 善巧の慧観によって十方一切にわたって説法教化する位 ) I法雲地 ( 説法が雲のように無量無辺の法雨を降らし真理をもって一切を覆う位 )をいう。



  法華経 第二十三章 薬王菩薩本事品

  無限の功徳

薬王菩薩が自由自在に教化できるのは、難行苦行の結果なのである。「 法華経 」  は一切衆生を救うものであり、一切衆生の苦悩を離れさせてくれる。人間は生きている限り苦しみから離れることはできない。どんな人にも人に言えない悩みがあるはずである。そのような苦悩を「 法華経 」  の教えは離れさせてくれるのである。「 法華経 」  の教えによって苦悩を離れることができるということは、自分が仏の心になれば自然に苦悩をなくすことができるようになるからである。 経文は、

此 ( こ ) の経は能 ( よ ) く大 ( おお ) いに一切衆生を饒益 ( にょうやく ) して、その願いを充満 ( じゅうまん ) せしめたもう

とあるように、一切衆生に利益 ( りやく ) を与え、「 その願い 」  をみたしてくれるという。「 その願い 」  とは何か。われわれの心の奥底にある願いである。人は一人では生きられない。多くの人々とともに、平安に和 ( なご ) やかに生きることが願いなのである。その願いをみたしてくれるのが 「 法華経 」  の教えなのである。

それはあたかも清らかな冷たい水が湧きでている池へ行けば、のどの渇きをいやしてくれるように、寒いときに火を得るように、「 法華経 」  の教えを得れば一切の苦しみから逃れることができる。それは病のときの薬であり、闇夜のともしびであり、渡りに船であり、貧しきに寶 ( たから ) を得たるが如く。「 法華経 」 は衆生一切の苦しみ、痛みを離れさせ、「 能 ( よ ) く一切の生死 ( しょうじ ) の縛 ( ばく ) を解 ( と ) かしめたもう 」 のである。

「 生死の縛 」 ( しょうじのばく ) とは、この世を生きるにあたって自分を縛 ( しば ) るものである。人生の明日はどんなことが起こるかわからない。人生は流転 ( るてん ) し、さすらいの旅と同じである。何か事が起こったときに動顚 ( どうてん ) することが自分を縛るものなのである。この縛りを放ちといてくれるのが 「 法華経 」  の教えである。「 法華経 」  の教えがまことにありがたい教えであることがわかれば、当然その教えが書いてある 「 法華経 」  に対して感謝の念をあらわすために供養するようになる。

如来の滅後、五百年の時、女人 ( にょにん ) がこのお経のように修行すれば、命が終わるときに安楽世界の阿弥陀仏のところに生まれることができる。死して極楽に生まれることができるばかりでなく、生きている間は三毒に悩まされることはない。三毒とは ( むさぼ ) り、 ( いか ) り、 ( おろか ) さであり、さらに女人 ( にょにん ) に多い煩悩である嫉妬 ( しっと ) や驕慢 ( きょうまん ) に悩まされることがないという。

かくして菩薩の神通力を得て 「 無生法忍 」 ( むしょうほうにん ) という最高の悟りを得たならば、眼根 ( げんこん ) が清浄になり、この清浄な眼玉によって無数の諸仏が見えるようになる
 ... (転載記事) ... 。


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  無から有へ有から無へ生命 ( 人間 ) は法華経を真読する為に存在している。と言っても過言ではありません。全ての宗教のゴールが法華経就中日蓮仏法なのです。法華経を読み聞かせるそして法華経を読み聞かせる。それが永遠の昔から永劫の未来へ “仏” であることを覚悟する “事” なのです。“南無妙法蓮華経” と唱えるだけで最高の悟りを得られるのが日蓮仏法神通力なのだと不肖小生も思います 。。。



posted by 石君 at 02:48| 東京 ☁| Comment(0) | 広 宣 流 布 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月27日

しょてんぜんじん ( 諸天善神 )..


  人 ( 生命 ) は暗く冷たい場所から明るく暖かい場所へと移行する ... 。


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  それは神 ( 善神 ) の働きでもある

  「 諸天善神 」 とは、大梵(だいぼん)天王・帝釈(たいしゃく)天王・大日(だいにっ)天王・大月(だいがっ)天王・大(だい)明(みょう)星(じょう)天王等に代表される、法華経の行者を守護する善神をいいます。古来、我が国において国を守る神として重んじられてきた天照大神・八幡大菩薩等も、仏法の意義の上から初めて諸天善神に含まれるのです。
 
 初座 「 諸天善神供養 」 の意義

 「 初座 」 は、諸天善神に対し、法味(ほうみ)を供(そなえ)て威光・勢力の倍増を御祈念するものです。御観念文の中に、「 諸天昼夜。常為法故。而衛護之 」 ( 法華経 396頁 ) という語が出てきますが、これは法華経 『 安楽行品 』 の経文で、その内容は、釈尊の滅後に法華経を弘通する菩薩には常に諸天善神がつきしたがって、菩薩が法華経を説くのを側で聴き、威光・勢力を増し、また説法を聴くために菩薩を守護する、という諸天善神の誓いが示されています。私たちも大聖人の仏法を実践するならば、必ず側に諸天善神がつきしたがい、そして私たちの自行・化他の題目を聴いて威光・勢力を増し、私たちを守護するということです。すなわち 「 初座 」 において東天に向かって読経するのは、東天より諸天善神を呼び、法味を供え、さらに 「 二座 」 以後の読経・唱題をも同座の諸天善神に聴かせて威光・勢力の倍増を祈念するという、“本宗伝統の化儀”なのです。
 
 「 神(かみ)天(てん)上(じょう)法門 」

   一国謗法の故に善神は天上に帰られている諸天善神は法界に実在しますが、ことさらに神だけを祀(まつっ)た神社に詣(もう)でることを大聖人、日興上人は厳に禁じられています。大聖人は 『 立正安国論 』 に、「 世皆(みな)正に背(そ)むき人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる 」 ( 御書 234頁 ) と仰せられ、法華経の法味を食して威光・勢力を増す諸天善神は、邪宗邪義の蔓延(まんえん)によって法味を味わえないために天上へ去り、逆に神社には魔神・鬼神が乱入して、国中に災(わざわい)を起こし、そこに詣(もう)でる者は鬼神につかれて災いを招くのであると御指南されています。また日興上人は 『 五人所破抄 』 に、日興上人以外の五老僧が、法華経の行者には善神が降りてくるのだから、大聖人の門徒は神社に詣でてもよいのだとする主張に対して、「 何ぞ善神聖人の誓願に背き、新たに悪鬼乱入の社壇に詣でんや 」 ( 同 1880頁 ) と仰せになり、あくまでも 『 立正安国論 』 の御指南の通り、悪鬼乱入の神社に詣でることを厳禁されています。
 
  神の本来の姿

 大聖人は 『 諌暁八幡抄 』 に、「 日本国一万一千三十七の寺並びに三千一百三十二社の神は国家安穏のためにあが崇められて候。而るに其の寺々の別当(べっとう)等、其の社々の神主(かんぬし)等は、みなみなあがむるところの本尊と神との御心に相違せり。彼々の仏と神とは其の身異体なれども、其の心同心に法華経の守護神なり 」 ( 同 1538頁 ) と御指南され、あらゆる仏・菩薩、あらゆる神が、すべて同心に法華経の守護神であることを明かされました。何故に、一切の仏・菩薩、また神々が法華経の守護神なのかと言えば、大聖人は 『 四条金吾許御文 』 に、「 大事の法門一つかき付けてまいらせ候 ( 中略 ) 法華経の人々は正直の法につき給ふ故に釈迦仏猶是をまぼ守り給ふ。況(いわん)や垂迹(すいじゃく)の八幡大菩薩争(いかで)か是をまぼり給はざるべき 」 ( 同 1523頁・1525頁 ) と、諸天善神の一人である八幡大菩薩は釈尊の仮の姿であり、その故に法華経の行者を守護するのであると御指南されました。推(お)して考えれば、すべての神が、釈尊が仮に姿を顕したものと言うことができます。さらに 『 諸法実相抄 』 には、「 釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐(おわし)候へ 」 ( 同 665頁 ) と仰せられていることから拝せば、釈尊を含む一切の仏・菩薩や神々は、南無妙法蓮華経の仏、すなわち御本仏大聖人が衆生を救済するその用きの一環としてあるのですから、大聖人の御意を離れたところに善神の守護はないのです。
 
  諸天善神は正直の行者を守護する

 大聖人は 『 四条金吾許御文 』 の結びに、「 されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給ふとも、法華経の行者を見ては争いかでか其の影をばをしみ給ふべき。我が一門は深く此の心を信ぜさせ給ふべし 」 ( 同 1525頁 ) と、八幡大菩薩は不正直を憎んで天に上られているが、私たちが正直の信心をもって仏道修行に励むならば、常に諸天善神が頂に影を落として守護してくださると御指南されています。正直の信心とは 「 正直捨方便 」、すなわち一切の邪宗・邪義の教えを捨て、大聖人の仏法が世の中に唯一無二、絶対の仏法であるとの確信をもって信心に励むことです。そうすれば誰しも必ず諸天善神の加護を受けることができるのです
 ... (転載記事) ... 。


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  日本の新興宗教の源である大本も世界を見ればキリストも仏教の予言を模倣している。その証拠が仏教就中法華経であり日蓮仏法なのです。創価学会の発展で正に “神” ( 諸天善神 ) が神社仏閣に降臨し善き “民” の身に入り世直しを開始したとも云えましょう。それがトランプの登場でもあり米英が方針を展開し世界で支配人クラスの “粛清” ( 落武者狩 ) が進行しだしたのかも知れませんね!? ... 。

  個人的には10年前に “金欲” を絶ち乞食生活を始めたのも間断なく病気に見舞われたのも今の姿 ( 世相 ) を予感していたとも云えましょう。上記転載記事の通り総ては日蓮正宗 ( 大寺 ) を源流に正法を説く全ての宗教法人就中世界に人類の希望を繋いだ日蓮世界宗創価学会に入会し現在から未来へ人類の価値創造 ( 化他行 ) に早く目覚めて欲しいと不肖小生も思います 。。。 
 
posted by 石君 at 16:50| 東京 ☔| Comment(0) | 広 宣 流 布 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする